Thursday, December 13, 2007

Roy Buchanan / Roy Buchanan

『ロイ・ブキャナン』
ロイ・ブキャナン
(1972年)

 幾多のギタリストに多大な影響を与えた音楽家、ロイ・ブキャナンのファースト・アルバム。バンドはブルースやカントリーなどのルーツ・ミュージックを淡々と演奏しているが、ロイのギターがそこに新風を吹き込む。フェンダー・テレキャスターの豊穣な音色と深みに酔いしれるべし。代表曲「メシアが再び」「スィート・ドリームス」収録。


ギターは木、ギターは声、ギターは生命

 かつて私は、エレクトリック・ギターは金属でできているもの、と思いこんでいた。

 赤や青など、原色でペイントされていることが多かったし、私がロックを聞きはじめたころには、いわゆる「ニュー・ウェイヴ・オブ・ヘビーメタル」が真っ盛りで、星形に代表される鋭角的なデザインのギターが大流行していたのだ。見た目も金属っぽいし、音も金属っぽかったから、木製だとは考えなかったのである。
 だいいち、マイク(ピックアップ)で音を拾って電気回路で増幅しなければ音を鳴らすことのできない楽器が木でできてなければならない理由なんて、なかなか思いつけないと思うんだけど、どうですか?

 ところが、である。
 最近はテクノロジーの発達もあるから、ボディが金属でできたギターもイイ音するのかもしれないが、基本的には、エレクトリック・ギターは木製でなければならないものなのである。しかも、部材にイイ木が使ってあればあるほど、イイ音がするものなのだ。
 要は、マイク(ピックアップ)で拾う音がイイ音でなければ、電気回路で増幅したところで、イイ音は鳴らないのである。考えてみれば当たり前のことなんだけど、そのことに気づくのに、けっこうな時間を要した。

 なぜこんなことを長々と語ったかというと、本稿の主題、ロイ・ブキャナンは、「エレクトリック・ギターは木でできている」ということを感じさせてくれる、数すくないギタリストであるからだ。

 かといって、彼のプレイが、アコースティックっぽいとか生音志向だとか、そういうことではない。基本的に彼はゴリゴリのエレキギター・プレイヤーだし、それをウリにしてもいた。エフェクタの類も使っていて、本作のクライマックスである「メシアが再び」には、エフェクタを踏んで音色を変える際に出る「カチッ」という音がそのまま入っている。また、後年のアルバムでは、あきらかに電気的にいじった音色を出すようになっていた。

 にもかかわらず、ロイ・ブキャナンが木の音を出す、と私が主張するのは、この人のギターが、異様なほど人間の肉声に近いからである。

 エレキギターという楽器は、サックスほど肉声に近い音は出ないし、ピアノほどそっけなくもない。そのちょうど中間ぐらいの音が出る楽器である。先に述べたように、金属的な音色を出すのにも適しているけれども、ロイ・ブキャナンをふくめ、ブルース系のリード・ギタリストは、チョーキング・ヴィブラートを多用し、肉声に近い音色を出すのを身上としている人が多い。
 チョーキングを用いたギター・プレイ(スクイーズ・ギターと呼ばれる)の発明者であるBBキングは、自分のギターに「ルシール」という女性の名前をつけている。これも、ブルース系リードギターが泣く・叫ぶ・歌うといった、肉声に近い音色を出すことの証左だろう。

 そういったブルース系リード・ギタリストの中でも、ロイ・ブキャナンは特別である。もっとも肉声に近い音を出すギタリスト、といって差し支えないと思う。私が彼を「エレキギターは木でできてることを実感させるギタリスト」と呼ぶのは、その音色が、電気回路を通して出されているにもかかわらず、あまりに有機物的(生物的)だからだ。

 アメリカ人のロック・ミュージシャンのご多分に漏れず、彼もまた、ブルースやカントリー、ロカビリーなどのルーツ・ミュージックに囲まれて幼少期を過ごした。
 音楽業界に入ったのはCCRやストーンズがカバーした「スージーQ」で有名なロックンロール・オリジネイター、デイル・ホーキンスのバックバンドに加入したのが最初である。ルーツ・ミュージックは彼の体内に、血液のように流れているのだ。じじつ、このファースト・アルバムでも、3コード12小節のブルースや「ヘイ・グッド・ルッキン」など、古き良きスタンダード・ナンバーを取り上げている。

 ところが、ここで聞ける彼のギターは、カントリー系・ブルース系のいかなるギタリストとも異なっている。冒頭の「スィート・ドリームス」、もしくはアルバムの末尾を飾る「メシアが再び」を聞いてみればいい。こんな生々しい音を出すギタリストは、ルーツ・ミュージックのミュージシャンにはいないだろう。にもかかわらず、これはルーツ音楽の蓄積の上で鳴らされている音なのだ、という感触がたしかにある。

 ロイ・ブキャナンの音楽には、スタイルとしてのイノベーション、ロック的な飛躍はまったくない。その意味では、きわめて素朴な音楽なのだ。にもかかわらず、この人の音楽が独特の質感と深みを持っているのは、とりもなおさず、この人のギターが奏でる音色による。


 ロイ・ブキャナンは、新しいギター奏法の発明者だった。ギタリストは誰もかれもが彼のギターを学び、そのテクニックを盗もうとした。
 もっとも有名なのはジェフ・ベックのインスト・ナンバー「哀しみの恋人達」だろう(アルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』収録)。ここでベックは、「ロイ・ブキャナンに捧ぐ」というクレジットを入れた上で、「メシアが再び」の音色をそっくりそのままマネて演奏している。
 ほかにも、エリック・クラプトンがブキャナンのテープを肌身はなさず持ってただの、ロビー・ロバートソンが聴き狂っていただの、ブライアン・ジョーンズのかわりにストーンズ加入を打診されただの、この人にはじつにはなやかなエピソードがつきまとっている。ミュージシャンの尊敬を一身に集めた人なのだ。
 あまり語られないことだが、これらミュージシャンのブキャナンにたいする尊敬は、彼のデビュー前にすでに寄せられていたことを指摘しておきたい。デビューしてみんなが聞いて驚いたのではない。ミュージシャンが密かに聞いていて、その後押しがあってデビューしたのだ。

 ロイ・ブキャナンは、いわゆるミュージシャンズ・ミュージシャンだった。しかも、あくまでギター・ヴァーチュオーソとして尊敬されていたので、彼の音楽性そのものが尊敬を受けていたわけではなかった。
 作曲の才能があるわけでもなく、歌が歌えるわけでもなく、見た目もドストエフスキーかよ、とツッコミたくなるほどモッサリして陰鬱だから、ミーハー人気が出るはずもない。長らくソロデビューできなかったのは、そのせいだろう。このファーストは1972年の作品だけれど、彼はその10年前にデビューしたビートルズやストーンズのメンバーより、5歳ぐらい年上なのだ。

 彼は、その生涯にわたって1曲のヒット曲も持たなかったし、セールス的に恵まれることもなかった。
 もっとも、日本のロック・ファンはなぜか昔からスーパー・ギタリストに弱いから、ロイ・ブキャナンは日本ではそこそこの知名度があり、人気もあった。78年のライヴ作『ライヴ・イン・ジャパン』は日本のみでリリースされている(現在は欧州盤のみ入手可能)。
 だが、彼の本国での知名度は正直、高くはなかった。それゆえだろう、70年代の後半以降、ブキャナンはアルバムごとに作風を変えるようになり、迷走する。ルーツ・ミュージックに準拠した彼の音楽性が流行らなくなったのも大きいのだろうが、結局、そういった時代の推移にたいして、器用に合わせられるだけの才覚を持っていなかった、ということなのだと思う。かといって、同じスタイルでえんえんとやり続けるほどの図太さもなかったのだ。

 ロイ・ブキャナンは最後まで、このファースト・アルバムを超える作品をつくることができなかった。
 デビュー前にすでに完成されていた彼の音楽性とギター・プレイは、ここで十全に表現され、あとは拡散していくほかなかったのである。
 先にふれた『ライヴ・イン・ジャパン』や『ライヴ・ストック』(74年)などのライヴ作はけっこう良くて、私もずいぶん聴いたけれど、ギターの音色の鳴り・深み・広がりにおいて、このファーストを超えるものはない。そして、彼の特色である生命を感じさせるギターの音色が、もっともバックの演奏に溶け込んでいるのも、この作品なのだ。
 おそらく、彼の超絶技巧も、ここで頂点をきわめて後は横ばい、もしくはゆるやかな下降線だったのではないか(もっとも、こればっかりは超絶技巧であるがゆえにどうやって弾いているかわからないので、確証は得られない)。

 あまり景気のいい話ではないから省略するが、彼は1988年、とても不幸な死に方で亡くなっている(詳しく知りたい人はこのページを眺めてください。熱心なファンの方による、すごく丁寧なディスコグラフィとバイオグラフィを見ることができます)。死後すでに20年、もともと「知る人ぞ知る」存在だったのが、ますます「知る人ぞ知る」人になっている。死んだからといって伝説化されることも、この人にかぎってはなかったようだ。

 だが、ここで披露されたギターの音色だけは、まさにエバーグリーン、永遠に色あせることはないだろう。ロイ・ブキャナンほどに、自分の肉体性をギターの音色に表出させることができるギタリストは、他にない。ギターは彼の声であり、彼の生命であった。このファースト・アルバムを聴いていると、そんな気になってくる。



追記:
 マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ディパーテッド』(2006年公開)のエンディング・ナンバーは、本作に収録の「スィート・ドリームス」だった。ロイ・ブキャナンが映画音楽に使われるという事実にも驚いたけれど、スコセッシ監督の豊富な音楽知識にも、今さらながら驚かされた。





 

Sunday, August 26, 2007

東京の空 / エレファントカシマシ

 1994年発表、通算7枚目のアルバム。エレカシ史上はじめて「丁寧につくりこんだ」感のある作品だが、これが宮本浩次くんのセルフ・プロデュースなのだから恐れ入る。「もしも願いがかなうなら」「東京の空」「甘い夢さえ」「誰かのささやき」ほか、名曲多数。日本のロック史に残る大名盤、と私は思う。



1,宮本浩次=天才説を検証する

 エレファントカシマシの宮本浩次くんを、「天才だ」という人がいる。
 私は必ずしもこの意見に全面的に同意するわけではないけれども、そういう意見が出るのもうなづけると思っている。

 宮本くんはおそらく、日本のロックが生んだ最高の詩人のひとりだろう。たとえば、本作『東京の空』のアルバム・タイトル・ナンバーではこう歌われる。

 ああ街の空は晴れて ああ人の心晴れず
 尽きやらぬ悩み事 何処へやら
 山越えて 谷越えて 人の心晴れず
 
 ああ ぶざまであればあるほどに
 我が身かわいやいとおしや
 山の中深い森の中 古き社のその中は
 眠り続けた願いごと 皆が知ってる願いごと


 これでタイトルが「東京の空」である。
「空」の状態について言及されているのは、冒頭の一句のみにもかかわらず、ここには「空」というものの空間的な拡がり(「山越えて谷越えて」)と、太古より続く時間的な拡がり(「古き社のその中は」)が語られ、結果として、これだけの詩句の中に、「世界そのもの」が歌い込まれてしまっている。その広大な空間の中に、「心晴れず」「ぶざま」「我が身かわいや」な、ちっぽけな人間の姿が対置されているのである。とんでもないイメージの構築力だ。みごとというほかはない。

 歌詞というものは、今私がしているように「音楽を、散文的な言葉をつかって、文学的に表現する」際にきわめて有効なとっかかりになる。だからあえてピックアップしてみたけれども、一方で彼のメロディメイカーとしての才覚も、相当なものがある。
 ちょっとおかしなコード進行、あるいはありふれたコード進行の上に、この人はとんでもないメロディを載っけてくる。それはもう、文字で表現するのは難しいから、聴いてもらうしかないが、けっこう凄いよこの人がつくる歌は。「そこでどうしてそんな展開をする!」とツッコミを入れたくなるようなとんでもないメロディをつくって、しかし違和感がまるでない。

 ボーカリストとしても、これほど独自性にあふれた人はすくないだろう。激情を表現するロックンロール・シャウターとしては日本有数だし(なにしろこの人、むちゃくちゃに声がでかいのである!)、聴く者の心の琴線をはげしく揺すぶる叙情派歌手としての側面も見落とせない。いわゆる「ロック的」巻き舌を一切つかわない、小学生の唱歌のような素直でまっすぐな歌いっぷりは、たしかに人の「急所」をついてくるのだ。母性本能をくすぐられる、と語る女性も多い。

 ついでに言えば、本作『東京の空』は、プロデュース/アレンジ=宮本浩次である。やりすぎちゃって失敗することも多いので、この才覚は無条件にほめるわけにはいかないが、すくなくともこの作品に関しては、宮本くんのプロデュースは完璧と言っていい。音楽のトータル・コーディネイト能力も、人並み以上に持ってるのである。

 これだけの才覚を持っている人だから、「天才だ」という人がいてもおかしくない、とは思う。だが、私がこの人を「ひょっとしたら天才かもしれないな」と思うのは、じつは別の理由による。

 宮本くんは、そりゃもう典型的な、社会不適合者なのである。

 これに関しては、あれこれ述べたてるより、実例を見てもらった方が手っ取り早いだろう。たとえばこれ。エレファントカシマシが往年の音楽バラエティ番組『ラブラブあいしてる』に出演した際の映像である。

 宮本くんは一生懸命話しているにもかかわらず、彼と番組の司会者キンキ・キッズとの間に、マトモな会話はいっさい、成立していない。堂々巡りする宮本くんの話に、キンキの堂本剛くんはロコツに不快を表現しているし、吉田拓郎は「何を話しているかサッパリわかんない」と正直に発言している。この時期、エレカシは積極的にテレビの音楽番組やトーク番組に出演していたけれど、いつもこの調子で、宮本くんの会話能力、ひいてはコミュニケーション能力の欠如はあらわになるばかりだった。
 こういう人はやっぱり、マトモに社会で生きていくのは難しいんじゃないかと思う。サラリーマンはまずつとまらないし、客商売もできないだろう。じじつ、この人はレコード屋かなんかでバイトして、3日でクビになったという「前歴」も持っているのである。ダウンタウンの松ちゃんが、ため息まじりに「きみは他の仕事でけへんな」と語っていたのを見たこともある。
 まあ、バラエティ番組なんてもんはそこで何が話されているかよりも、その場が盛り上がっているかどうかが重要なメディアだから、この人の常軌を逸した浮きっぷりは、見ていてすごく楽しいものではあった。司会者はいい迷惑だろうが。

 天才の定義は色々あると思うけれど、たぶん、「まっとうな社会生活を営めない」というのは重要なファクターのひとつだろう。みずから耳をそぎ落としたゴッホのような苛烈な例を出さずとも、コミュニケーション不全はジミ・ヘンドリックスやプリンスなどの音楽の天才の中に、いくらでも見出すことができる。彼らは多くの場合、その巨大な才能と引き替えに、一般性・社会性を失ってしまっているのだ。
 果たして、宮本くんをジミヘンやプリンスと同列に並べていいもんか。若干の抵抗を感じざるを得ないけれども、彼がそういった音楽の天才たちと同等か、もしくはそれ以上の社会不適合者であることはまちがいない。
 そして、彼の表現はまさしく、「社会不適合者にしかできない表現」だったのだ。すくなくともデビューしてしばらくは。


2,社会不適合者のナルシシズム

 社会不適合者の音楽。本作『東京の空』に至るまでのエレファントカシマシの6枚の作品は、まさにそれだった。

 今さらあらたまって言うまでもないことだけれども、世の中には、ヘンなところ・おかしなところがたくさんある。大は政治経済のしくみ、小は隣人との関係に至るまで、あらゆるものは突き詰めていけばかならずウソと欺瞞に突き当たる。
 多くの人は、そのことにまったく気づかないか、あるいは気づいても気づかないふりをして日々を暮らす。それが「社会に適合する」ということだからだ。だが、社会不適合者にはそれができない。
「ウソばっかじゃねえか。ごまかしてんじゃねえよ」
 そう言って不機嫌にならずにはいられないのである。

 エレファントカシマシの音楽とはそういう音楽であり、彼らの音楽を支持する者も、多かれ少なかれ、彼らと志を共にする者だった。社会不適合者の苛立ち・叫び・つぶやきに、共感を感じる種類の人間が、彼らのファンになったのである。
 当たり前のことだけれども、こうした表現は、大多数の人々の支持を得ることは難しい。しかし、あえてこうした一般性のない表現を選択する者には、圧倒的な強みがあるのである。それは、「自分たちは真理を表現している、もしくはしようとしている」という誇りと矜持だ。あまり指摘したくはないけれど、こうした「誇り」や「矜持」は、「俺たちの表現を理解できないヤツはバカだ」という不遜で子どもじみたナルシシズムとセットになっている。

 ファイン・アートなら、「芸術」なら、それでもいいのである。ゴッホなんざ生きてる間に一枚しか絵が売れなかったらしいし、たしかフローベールだったと思うけれど、「余の芸術は余の死後に理解されるだろう」と語ってそのとおりになったとかいう話があったはずだ。
 だが、ロックは、もっと言えばポップ・ミュージックは、そういうもんではないのである。どんなに優れた表現であろうと、売れなきゃクズとみなされるのだ。言い換えれば、社会不適合者の甘えきったナルシシズムがいつまでも許されるほど、彼らが「敵」とした「世の中」は甘くはなかったのである。


3,追いつめられたバンド、そして『東京の空』

『東京の空』は、エレファントカシマシ通算7枚目の作品にあたり、彼らのエピック・ソニーにおけるラストアルバムとなっている。
 このアルバムの制作当時、彼らはエピックから「この作品が売れなきゃクビだ」と「最後通告」を受けていた。いわば、崖っぷちに立たされていたのだ。
 追いつめられたからこそ、本気になった。本気で「売る」ことを考えた。多くの人に受け入れられるサウンドと歌。この作品は、それを目指して制作されたエレカシ最初のアルバムである。
 結果、本作はそれまでの彼らの作品にあった冗漫さが排除され、独自の緊張感を持った、彼らの最高傑作と呼んでいい作品となった。アルバム冒頭の一音からラスト曲のフェイドアウトに至るまで、一音としてムダな音はないし、駄曲も一曲もない。全編にわたって、開かれた音楽を届けよう、という気概と意思があふれている。
 おそらく、彼らはここにきてはじめて、「プロ・ミュージシャンであること」を受け入れたのだろう。
 曲をつくって演奏して、お金をもらう。お金をいただいた人にサービスをする。それは当たり前のことなのだけれど、彼らはその「当たり前」に疑問を抱いていたのだ。だってそれは、下卑た商人根性以外の何物でもないじゃないか。
 だが、その「下卑た商人根性」こそが、プロ・ミュージシャンの本質(の一部)なのである。

「俺たちはプロだ(商人だ)」
 社会不適合にこそ表現の核を求めていた彼らがそうした決断をするためには、当然、大きな葛藤があったことだろう。理想を売り物にする悲しみと怒り。それがギリギリのところで表現されているからこそ、本作『東京の空』は傑作なのである。

 残念ながら、この作品は彼らが期待したほどには売れず、彼らは通告どおりにレコード会社との契約を切られてしまった。その後1年以上の間、彼らは契約もなく、アマチュア・バンドと同じ立ち位置で音楽活動を続けることになる。
(余談だが、私は下北沢の小さなライヴハウスで、素人バンドを対バンに迎えてライヴをやっていたこの時期のエレカシを見ている。まだリリースされていなかった名曲「悲しみの果て」もこのときはじめて聞いて、こりゃエライいい曲だなあ、と感動したものだ。以来、エレカシが好きだというやつに出くわすと、私は得意げにこの話をするのである)

 その後、ポニー・キャニオンとの契約が決まって以降の彼らの快進撃は、記憶しておられる方も多いことだろう。テレビドラマとのタイアップ曲「今宵の月のように」はオリコンのトップ10に入るヒットとなり、アルバム『明日に向かって走れ ~ 月夜の歌』も大いに売れた(オリコン2位。1位はマライア・キャリーだったから、実質的に1位と言ってもいいだろう)。

 彼らの「売れる作品をつくろう」という努力は、すこし遅れて実ったのだ。


4,世界で唯一の中坊バンド

 最後に、現在の彼らの活動についてふれておかなければならないだろう。
 一時は積極的にテレビ出演をし、エピック時代には決して歌おうとしなかったラブソングを量産して人気アーティストの戦列に加わるべく奮闘を続けていたエレファントカシマシだが、その後ぱったりメディア露出をしなくなってしまう。宮本くんいわく「テレビに出演したりしていると、どうしても集中力を欠いてしまうから」なのだそうだ。
 この頃から、彼らの楽曲はまた、以前のように怒りを剥き出しにしたものに戻っていった。ソフト路線の彼らを見た後だけに、私などは「逆に意固地になってムリをしてるんじゃないか」という気がして仕方がなかったが、これはおそらく、彼らが「彼ら自身」を取り戻すために、必要なプロセスだったのだろう。何をやるのにも極端にふれてしまう不器用なバンドなのである(そこが愛らしいところだけれど)。

 目下の最新作『町を見下ろす丘』は、そうした紆余曲折を経て、彼らがたどりついた新境地を示す作品である。肩の力を抜いた、かといって媚びを売るふうでもない自然な楽曲群は、昨年40歳を迎えた彼らの成長を示してあまりあるものだ。
 そう、40代。彼らももう若くはない。だが、若くはないからこそ、彼らには新しいテーマが与えられているのだ。すくなくとも私はそう思っている。

 エレファントカシマシは、中学時代のクラスメイトで結成されたお友達バンドである。それが40歳に至るまでメンバーチェンジもなく音楽活動を続けているなんて、奇蹟に近いことだろう。世界にも類例はたぶん、ないはずだ。
 中学時代に結ばれた悪ガキどもの絆。当然、歳を経るにしたがって、それは意味合いを変えてきたことだろう。だが、絆は絆として依然として続いている。それは、なんて美しいことなんだろう。私は彼らを心底うらやましいと思う。
 社会不適合者である宮本くんがどうにかこうにか続けてこられたのも、「仲間がいるから」なのだと思う。近年の楽曲「友達がいるから」(アルバム『風』所収)は、そのへんを歌った名曲である。

 歳を喰えば喰うほど、ロック・バンドの道のりは厳しくなる。だが、だからこそ解散せず続けて欲しいな、と思っている。紆余曲折を経て、彼らはようやく、彼らが求め続けた「前人未踏の境地」へと達しつつあるのだから。



 
 

Thursday, May 24, 2007

Volunteers / Jefferson Airplane


『ヴォランティアーズ』

ジェファーソン・エアプレイン
(1969年)

 60年代に一世を風靡したフラワー/サイケデリック・ムーブメントの中心的存在、ジェファーソン・エアプレインのメッセージ・アルバム。ポール・カントナーの左翼指向が全面に展開され、今や完全にアウト・オブ・デイトになってしまった共産主義の理想が語られる。スティーヴン・スティルス、デビッド・クロスビー、ニッキー・ホプキンスが参加。


あなたはこれを笑うのか? 
ならばあなたとは話したくない


 音楽は音楽として楽しめれば良い。社会的/政治的メッセージなんぞを訴えるのは邪道だ、てな意見がある。私はおおむね、この説には同意したいと考えている。
 だがその一方で、音楽を社会的/政治的メッセージに使うという方策は有効だ、とも考えている。今、この世の中が気に入らないなら、変革を歌うのもアリだと思う。そのメッセージにたいして揺るがない確信があれば、音楽も絶対に熱を帯びたいいものになるだろう。

 ナチス・ドイツにおけるワーグナーの使用を持ち出すまでもなく、音楽は人々を煽動する力を持っている。古来、宗教儀礼において音楽が重要視されてきたのも、同じ理由によるものだ。宗教とは、一種の強力なメッセージにほかならないのだから。
 確固とした信念がここにあり、それを多くの人に向けて訴えたいと願うなら、これを使わない手はないだろう。

 ジェファーソン・エアプレイン。60年代後半に人気を博したサンフランシスコ出身のグループである。元モデルの美人ボーカリスト、グレース・スリックを擁し、のちに次々とデビューする「女の子が歌うロック・バンド」のさきがけとなった。音楽的には、サイケデリック・ロックの範疇で語られることが多い。
 代表作としてよくあげられるのは67年発表の「シュールリアリスティック・ピロー」であるが、この頃の彼らは、アルバム・タイトルからもわかるように、きわめて文学的かつ抽象的・耽美的な歌を歌っていた。サイケデリックとは、ドラッグによる意識混濁ないしは意識の変容を、芸術によって再現しようというムーブメントであるが、ジェファーソン・エアプレインはその代表選手として、歌詞もサウンドも文学的・抽象的・耽美的な指向性を持っていたのである。

 だが、その後、エアプレインは次第にその音楽性を変化させていく。デビュー時から彼らのサウンドの特徴だった3人の男女による混声ボーカルは、より複雑な絡み合いを聞かせるようになり、ビーチ・ボーイズやCSNに代表される整然としたボーカル・アンサンブルとはまったく異なった独自性を発露しはじめる。
 また、のちにホット・ツナを結成するギタリストのヨーマ・コーコネンおよびベーシストのジャック・キャサディは、随所でイキイキとした躍動感あふれるジャム演奏を聴かせるようになる。
 そして、なによりも大きく変わったのは、彼らの詩の世界だった。グループのリーダー的存在であり、ソングライターのひとりでもあったポール・カントナーは、その一風変わった作曲手法に磨きをかけるとともに、当時隆盛をきわめていた左翼運動にのめり込んでいった。初期の彼らに顕著だった文学的・抽象的・耽美的な指向性は後退し、かわって全面に出てきたのは、マルクス主義思想を背景とした理想主義である。

 本作のアルバム・タイトル「ヴォランティアーズ」は字義どおりに「ボランティア=無給で働く人」を意味している。これが体制批判/資本主義社会批判とセットで語られれば、おのずから意味合いは定まっていく。

 さあ、おれたちの時代がやってきた(革命だ、革命だ)
 マーチを奏でながら海まで進め(革命だ、革命だ)
 おれたちは自分が誰だかわかっている
 おれたちはアメリカのボランティアさ
           (Volunteers)

 アメリカという国のために、無給で働く。そのメッセージはそのまま、アメリカのために「有給で」働く人々――政治家や官僚、軍人などにたいする批判、ひいては「カネのために働く」資本主義体制そのものにたいする批判となっている。
 むろん、こうした思想が全面に打ち出された背景には、長期化し泥沼化するベトナム戦争があった。毛沢東の「造反有理」ではないけれど、アメリカ政府のやってることがムチャクチャだったから、反抗する側にも確固とした「正義」があったのである。

 エアプレインはデビュー当時から、ヒッピー/フラワー/サイケデリック・ムーブメントの中心的存在として、反戦運動と体制批判を活発におこなっていた。だが、政府のやってることにケチをつけるだけなら、誰でもできる。マトモな感性を持っていれば、そこから一歩進めて、「じゃあ、俺たちは今の世界を否定して、どんな世界を指向するんだ?」という問いに向き合わずにはいられないだろう。
 時代は60年代。「プロレタリア独裁」が甘美な理想として語られた時代である。その問いに回答を与えるのは、決して困難なことではなかった。

 理想世界構築の夢を高らかに歌いあげる男女混成の3声ボーカル、天空を駆けのぼるかのようなヨーマのファズ・ギター、大地を揺るがすがごとく深く潜行するジャックのベース・プレイ。ここで表現されたサウンドのすべてが、理想に向かっていこう、新しい世界をつくろう、という希望に満ちている。すくなくとも、この作品をつくった当時、エアプレインは理想を信じていたのだ。だからこそ、この音楽は現在でも掛け値なしに美しいし、力強い。

 私たちは今、「理想」のうさんくささも、「希望」の実効性のなさも知っている。だが、それは私たちの不幸ではないのか。情況にたいしてシニカルになることがクールだなんて、いったい誰が決めたんだ? 絶対におかしいじゃないか。

 本作のオープニング・ナンバーの「ウィ・キャン・ビー・トゥゲザー」は、ほとんど牧歌的ともいえる世界観を歌うメッセージ・ソングである。

 わたしたちは一緒にやれる
 あなたとわたしはひとつになれる
 壁を叩き壊そう
 やってみようじゃないか
   (We Can Be Together)

 これを聴くたび、私は涙が出そうになるのである。なんて素晴らしい曲だろう、と思う。笑いたくば笑えばよい。あなたの冷笑よりも、エアプレインが掲げた理想や希望のほうが、100倍美しいと私は信じているから。

 残念ながら、エアプレインはこの後、その飛翔を徐々に失速させていく。デビュー時から優れた楽曲を提供していたボーカリストのマーティ・ベイリンは、ポール・カントナーのラジカルな政治姿勢に嫌気がさし、「ヴォランティアーズ」のリリース後にバンドを脱退する。ヨーマ・コーコネン、ジャック・キャサディもより自由な演奏形態を求めて、ホット・ツナを結成、エアプレインを離れた。そして、ポール・カントナー自身も、のちに「政治なんてもんにうつつを抜かすのは時間のムダだ」と発言、この時代の活動にたいして、反省と悔恨をあらわにするようになる。

 とはいえ、この作品で描かれた理想は、いささかも古びない。なぜなら、ここには確固とした信念と、それを実現しようとする熱意が表現されているからだ。



追記1:
 ジェファーソン・エアプレインは断じて日本での人気が高いバンドではないと思うが、すくなくともネットでの支持は熱い。日本語のファンサイトもいくつかある。なかでもこのサイトはエアプレインからジェファーソン・スターシップへ、そしてしょーもない産業ロックになり果てた(ジェファーソンなしの)スターシップ、続いてエアプレイン再結成へ、ときわめてややっこしい歴史をたどったこのバンドの紆余曲折をきっちり紹介している。人の出入りが多いバンドだけど、そこもしっかりフォローし、メンバーのソロまで押さえたディスコグラフィもきわめて的確で親切だ。しばらく休止されていたブログも近日再開とのこと。楽しみである。


追記2:
「ヴォランティアーズ」にはクロスビー・スティルス&ナッシュのファーストアルバムのハイライトとなった「木の舟」が収録されている。これはカバーではなく、「木の舟」はもともと、クロスビーとスティルスにポール・カントナーを加えた3名の共作曲なのだ。CSNもむろんいいけど(その素晴らしさはここで述べている)、こっちも捨てがたい名演だ。

Wednesday, March 28, 2007

Live At Leeds / The Who

『ライヴ・アット・リーズ』
ザ・フー
(1970年)


前年にロック哲学叙事詩『トミー』をリリースし、絶頂期にあったフーの1970年2月のリーズ大学におけるライヴを収録した実況録音盤。3人の無鉄砲なミュージシャンによるインタープレイと野性味あふれるボーカリストの叫びがつくりあげた前人未踏・唯一無二のロック・グルーヴ。

表現された生命の躍動、春の祭典

 一時期、クラシック音楽にハマっていたことがあった。
 友人にクラシック好きがいたのもあったし、ロック以外の音楽も聴いて見聞を広めよう、という意図もあって、あれこれ聞きかじってみた時期があるのである。
 その頃、クラシック好きの友人に勧められたのがストラヴィンスキーの『春の祭典』であった。たしか、クラシック評論家・宇野功芳先生の著書『クラシックの名曲・名盤』にも、「ロック・ファンには『春の祭典』を」というような記述があったように記憶している。

 だが、とても残念なことに、ストラヴィンスキーにはイマイチ、ピンと来なかったのである。おそらくは「私がクラシックに求めるもの」とあまりに離れすぎていたのではないかと思う。なにしろ、当時、私が好きだった作曲家はベートーヴェンとショスタコーヴィッチだったのだから。

 今思えば、『春の祭典』=激しくてうるさい音楽=ロック・ファンに受ける、という安直な等式も、クラシック・ファンのロック・ファンにたいする偏見がふくまれていたような気がする。ロック・ファンだって、うるさい音楽ならなんでもOKってわけじゃねえだろう。それとも何かい、ロック・ファンにはモーツァルトを理解する繊細な耳なんかあるはずがない、とでも言いたいのかい?

 そんなわけで、『春の祭典』はよくわからなかったのだけど、タイトルだけはすごく印象に残ったのである。「春の祭典」。なんてイマジナティヴな言葉だろう!
 春は生命が躍動しはじめる季節。植物は芽吹き思い思いに花を咲かせはじめ、冬眠していた動物たちは土から出てくる。春は自然界の掟=弱肉強食のはじまりを告げる祭典でもあり、動植物の生殖活動の開始を告げるセクシャルなファンファーレでもある。

 話のマクラが長くなりすぎた。要は、ザ・フーの傑作ライヴアルバム『ライヴ・アット・リーズ』こそが、私にとっての「春の祭典」だと言いたいのである。

 ライヴが行われたのは1970年2月14日。春と呼ぶには少々早すぎるけれど、ここで表現されているのは、まさしく春の躍動感、春の生命のダイナミズムなのだ。よく晴れた春の日になると、私はムショーにこのアルバムが聴きたくなる。


 前作『トミー』は哲学するロッカー、ピート・タウンゼンドの資質を全開にして制作された作品であった。ピートはここで、三重苦の少年トミーの生い立ちを語りながら、「宗教はなぜ生まれるのか」「ロック・スターとは何か」「人が純粋であるためにはどうしたらいいのか」といった哲学的命題をきわめてポエジックに表現している(あまり語られないが、デビッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』は明らかに『トミー』の哲学を下敷きに展開されている)。インド哲学と出会ったピートが思索に思索をかさねてできあがった一大叙事詩が『トミー』だったのだ。

『トミー』は「若者の新しい聖書」とまで呼ばれ、プレスにも絶賛されたしセールスも好調だった。だが、おそらくピート・タウンゼンドには、どこかケツの座りの悪い思いがあったのだろう。「偉そうなもんつくっちゃったけどさ、オレたちゃ芸術家じゃなくてロック・バンドなんだぜ」というような。

『トミー』で得た芸術的評価をあざ笑うかのように、きわめていかがわしい馬鹿ロックばっかり集めてリリースしたライヴアルバムが、『ライヴ・アット・リーズ』だった。現在はピートのマメな編集作業によって、この日のフーの神がかった演奏はそのすべてを聴くことができるけれども、オリジナル・アルバムは全6曲だった。「ヤングマン・ブルース」「サブスティテュート」「サマータイム・ブルース」「シェイキン・オール・オーバー」「マイ・ジェネレーション」そして「マジック・バス」。6曲中3曲が古き良き若者讃歌のカバーであり、残りの3曲はモッズ讃歌と呼ぶべき初期のヒット・シングルだ。「マイ・ジェネレーション」は組曲形式になっていて、途中に『トミー』のテーマを挟み込んだりはしているけれど、基本的に「ロック・バンド:ザ・フー」の姿を活写することにスポットが当てられた作品になっている。

 ここでの演奏がまあ、とんでもない。ピート・タウンゼンドは「ザ・フーのリード楽器はドラムとベースで、ギターがリズム楽器なんだ」と語っていたが、キース・ムーンのドラム、そしてジョン・エントウィッスルのベースのものすごいこと。まさしく、空き地の雑草たちが一斉に繁茂しはじめるような、あるいはソメイヨシノがヤケクソになったみたいに大量の花を咲かせるような、そんな生命の躍動感に満ちあふれている。それは、エネルギーが有り余った若者が暴れ回る躍動感なのだ。
「昔の若者は、デカい顔をしていたんだ。なんてったって男たちの中でいちばん力が強かったからな。でも、今の若者は年寄りにこき使われてるぜ!」という「ヤングマン・ブルース」に象徴されるように、ここで表現されるのは、体に満ちた過剰なエネルギーと、そこから否応なく導かれるフラストレーションを「怒り」という形で噴出させる若者の姿である。ロックの原初形態、と言いかえてもいいだろう。

 メンバーの平均年齢は25歳。じゅうぶん若いが、ここにあるのは若さだけではない。傑作『トミー』をつくり得たという自信と余裕が、「若さ」を確信犯で表現することを可能にしているのだろう。単なる若者には「若さ」は表現できない。「若さ」というものから一歩離れ、外から眺めることができる人間だけが、「若さ」が持つ闇雲なエネルギーをあますことなく表現できるのである。

 ザ・フーの『ライヴ・アット・リーズ』こそは、荒ぶる春の生命の躍動、そのものである。



<写真はリーズ大学におけるフーの演奏写真。英国国営放送BBCのサイトより>




追記:
『トミー』のロック・ミュージカルが中川晃教・高岡早紀主演で現在公開中である。ミュージカルに興味はあまりないけれど、高岡早紀で『トミー』とくると、やはり気になる。じつは、私はフーと同じぐらい、高岡早紀が好きなのだ。

Saturday, February 17, 2007

Atlantic Crossing / Rod Stewart

『アトランティック・クロッシング』
ロッド・スチュワート

(1975年)


 古巣のマーキュリーからワーナーに移籍、英国のローカル・シンガーだったロッドが世界を攻略すべくリリースした作品。ブッカーTとMGズ、マッスル・ショールズ・スワンパーズをバッキングに迎え、アメリカ各地で録音された楽曲群は現在でもみずみずしい。ジェシ・エド・ディヴィスの渋いギター・プレイも光る。大ヒット曲「セイリング」収録。


「大西洋を渡る」英国人の気概と冒険心

 タイトルは「大西洋を横切って」。ジャケットには今まさに大西洋をひとまたぎしようとするロッドのイラストが描かれている。

 このアルバムの発表まで、ロッド・スチュワートはイギリスを舞台にして活動するシンガーだった。
 ジェフ・ベック・グループのボーカリストとして1968年にデビューした彼は、グループ脱退後フェイセスに加入、並行してソロ・ボーカリストとしての活動もスタートさせている。この頃の彼の活動ぶりはけっこう凄くて、たとえば1971年には、フェイセス名義の「ロング・プレイヤー」「馬の耳に念仏」、ソロの「エブリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」と計3枚のアルバムをリリースしている。
 この時期のロッドのソロ・アルバムはたいがいフェイセスのメンバーがバックアップしているから、じつはこのことは、フェイセスというバンドがいかに精力的なバンドだったか、ということを物語ってもいる。だが、リード・ボーカリストのソロ作とバンド名義のアルバムを並行してリリースするという異常な活動形態は、この偉大なロックンロール・バンドを簡単に解散においやってしまった。
 どうしてそんなややっこしい活動形態をとることになったのか、事情は不明だが、たぶん、あんまり先のことは考えてなかったんだろう。1年にアルバム3枚リリースという異様なワーカホリックぶりも、そのへんの無計画性と関わりがあるにちがいない。

 いずれにせよ、ロッド・スチュワートというシンガーは、デビュー以降、ソロ・シンガーとしてもフェイセスの一員としても、英国のミュージシャンと活動を続けてきたのである。
 
 本作は、そんな彼が、「大西洋を横切って」アメリカ大陸に赴いて制作した作品だ。録音はニューヨーク、マイアミ、メンフィス、そしてマッスル・ショールズとアメリカ各地で行われており、バッキングをつとめるのは、ブッカーT&ザ・MGズとマッスル・ショールズ・スワンパーズである。いずれも「アメリカの音」そのものと言ってもいいスタジオ・ミュージシャン集団だ。その上、プロデューサーはトム・ダウドなのだから、アルバム・クレジットを見るだけでも、ロッドがこの作品で目指したものが伝わってくる。

 英国出身のR&Bシンガーの常として、彼もまた、アメリカン・ルーツ・ミュージックに心を奪われていた。フェイセスというバンドは明らかにそれを指向していたし、ソロ作におけるカバー曲のチョイスにしても、「米国への憧れ」を濃厚に感じさせるものが多かった。
 そうした指向性を持つシンガーにとって、トム・ダウドをプロデューサーに立て、マッスル・ショールズ・スワンパーズをバックに歌うことは、長年の夢だったにちがいない。早い話が、あのアレサ・フランクリンとまったく同じサウンド・プロダクションで歌うんだから、嬉しくて嬉しくて仕方がなかっただろう。

 長年の夢を実現した喜びは、ロッド自身の歌唱にみずみずしく表現されている。アルバムの冒頭を飾る「スリー・タイム・ルーザー」、ジェシ・エド・デイヴィスとの共作曲でジェシ自身のイカすギターも聞ける「オールライト・フォー・アン・アワー」など、歌うのが楽しくて楽しくて仕方がない、という気持ちが伝わってくる。こうしたスコーンと抜けたような明るさ・開放感は、英国時代の彼のソロ作やフェイセスの作品には見られなかったものだ。

 アナログはA面がFast Side、B面がSlow Sideとなっており、楽曲の性格に応じて割り振られている。カバー曲のセンスも秀逸で、スコットランドのバンド、サザーランド・ブラザース(私は寡聞にしてこの人たちの曲を知りません)のカバー、「セイリング」はロッド一世一代の大ヒットとなった。他にも、夭折したクレイジー・ホースのギタリスト、ダニー・ウィットンの手になる「もう話したくない」など、ロッドがこの作品で紹介した楽曲は数多い。

             *

「大西洋を横切って」には、じつはもうひとつの意味がある。

 日本にいて海外の音楽を聴いていると見えにくいのだが、イギリスとアメリカでは、マーケットの大きさがまるで違う。たとえば「全英チャート1位」はそれだけ聞くと凄そうに思えるけれど、実際の売上枚数は日本の「オリコン1位」の方がずっと多いのである。むろん「全米1位」とは比較にならない。せいぜい、アメリカのローカル・ヒットと肩を並べられる程度だろう。
 逆に、「全米1位」は文字どおり、世界を制覇したことを意味する。なにしろ、全世界のCD売上の4割はアメリカ一国で担っているのだから。

 したがって、イギリス出身のロック・ミュージシャンは誰もかれもがアメリカを目指す。より多くのレコードを売るために、というと聞こえは悪いけれど、より多くの聴衆に自分の音楽を知ってもらうには、アメリカで売れるほか方法はないのである。

 この作品は、イギリスのローカル・ヒーローだったロッド・スチュワートが、まさに「大西洋を横切って」アメリカで売れるべく攻勢をかけた作品であった。タイトルにもジャケットにも、その意気込みが見てとれる。そして、これが凄いところなのだが、彼はこの作品でみごとワールド・ワイドなポップ・スターになってしまうのだ。いわば、有言実行である。古巣のマーキュリーを出てワーナーと契約したことも大きかったのだろうが、なかなかできるこっちゃない。
 これ以降、ロッド・スチュアートはロックンロール・セレブの仲間入りをして、みずからのスーパースターぶりを戯画化したような作品をリリースすることになる。それらの作品もバカっぽくていいのだけれど、当然のことながら、ここに現れたような「呪縛から解き放たれたような開放感」「長年の夢を実現したよろこび」「歌うことのよろこび」は表現されていない。
 大西洋をひとまたぎするには、勇気と冒険心がいる。だが、いちど渡ってしまったら、もうそれは必要のないものだ。捨てるつもりはなくても、いつの間にか消え去ってしまう。取り戻したい、と考えても、それは決して戻ってこない。
 この作品は、ロッド・スチュアートという希有のシンガーが、ひと皮むけて大人になる瞬間を描いたドキュメントでもある。



Sunday, December 31, 2006

Rubber Soul / The Beatles

ラバー・ソウル/ザ・ビートルズ
(1965年)



 スタジオでの音楽的冒険を繰り広げた中期ビートルズの序章と呼ばれる作品。歌詞もサウンドも初期に比べ飛躍的な進歩を遂げている。60年代に起こった音楽的なムーブメントはほぼすべてビートルズが先導したと言って過言ではないが、この作品は「フォーク・ロック」の草分けにして代表作といわれている。


最後のロックンロール・ビートルズ

「ラバー・ソウル」とは、80年代のバンド・ブームの頃に大いに流行ったゴム底の靴のことでは当然なくて、文字どおり「ゴム製の魂」の意味である。なんでも、ソウル・シンガーがローリング・ストーンズの音楽を「プラスティック・ソウル」と言って馬鹿にしたところからこのタイトルを思いついたとか。発案のきっかけはともかく、とても文学的で洒落たタイトルだと思う。

 ビートルズの音楽が変わりはじめたのは、このアルバムからと言われている。沈鬱な表情を浮かべたメンバーの写真(すこしタテに伸びている)をあしらったジャケットは、それまでの作品とは明らかに趣を異にしているし、詩もグッと深みを増した(これはボブ・ディランの影響だとか)。
「ノルウェイの森」にはシタールがダビングされているし、「イン・マイ・ライフ」ではテープの倍速回転が採り入れられている。ビートルズは続く「リボルバー」「サージェント・ペッパーズ」といったアルバムでサイケデリック=スタジオでの音楽の冒険を追求することになるが、この作品をその端緒とするのが通説だ。

 とはいえ、私がこのアルバムを愛するのは、「ビートルズのスタジオ時代」がここからはじまったから、ではない。むしろ逆で、「ロックンロール・コンボとしてのビートルズ」がここで完成を見ているからである。
 次作「リボルバー」の楽曲は、すでにライヴで再現不可能な域に達してしまっている。むろんそれも素晴らしいのだけれど、私はギリギリのところでライヴ・バンドとしての体面を保っている「ラバー・ソウル」のビートルズが、とても愛おしく感じられるのだ。
「ドライヴ・マイ・カー」「ユー・ウォント・シー・ミー」「君はいずこへ」「ウェイト」、そして「愛のことば」。これらの曲は実際にライヴで演奏されることはなかったけれど、彼らが殺人的なツアー・スケジュールをこなすことで培ったグルーヴが、たしかに息づいている。アルバム・タイトルどおり、ソウル・ミュージックの影響も大きいのだろう。

 私事になってしまうが、私がビートルズをはじめてマトモに聴いたのはこのアルバムだった。たぶん、高校生の頃だろう。濃緑のアルバム・ジャケット、マッチョなグルーヴ、印象的なメロディ・ライン。いずれも文句なくカッコ良かった。ビートルズは断じて甘っちょろいポップスをやるバンドではなく、じつにイカしたロックンロール・バンドだったのだ。そのことが、痛いほどよくわかった。
 たぶん、はじめて出会ったのが「サージェント・ペパーズ」や「ホワイト・アルバム」や「アビー・ロード」だったら、そんなふうには思えなかっただろう。今にして思えば、本当に幸福な出会いだった。
(誤解のないように付け加えておくが、断じて後期の諸作がつまらないと言っているのではない)

Wednesday, October 04, 2006

Astral Weeks / Van Morrison

『アストラル・ウィークス』
ヴァン・モリソン
(1968年)

 ワン&オンリーのシンガー、ヴァン・モリソンがゼム解散後にリリースした実質的なファースト・ソロ作。ジャズの即興性を機軸にしたアコースティック・サウンドの上に、ヴァンのこれまた即興性に富んだ歌が乗る。きわめてユニークかつ、奥の深い作品。


モリソン氏と過ごす、天上の日々

 ヘンな音楽である。そして、不思議な音楽である。
 
 かりに、エレクトリック・ギターとベース、ドラムで構成されるビート・ミュージックを「ロック」と定義するならば、これは断じて、ロックではない。この作品にはエレキ・ギターの音はまったく鳴ってないし、なによりこれはビート・ミュージックではない。

 バッキングをつとめるのは、一流のジャズ・ミュージシャンである。代表格は、リチャード・デイビス(ベース、エリック・ドルフィーとの共演で有名)とコニー・ケイ(MJQのドラマー)。やってることも明らかに、ジャズの方法論にのっとっている。
 ヴァン・モリソン自身が弾いていると思われるアコギは、えんえんと単純なコードを繰り返している。その単調な繰り返しの上で、アコースティック・ギター、ベース、ドラム、フルートの即興演奏が繰り広げられる。この即興性は明らかに、ジャズに由来するものだ。

 この「即興性」こそ、アルバム制作時のヴァン・モリソンのテーマだったのだ。それはまちがいない。
 この作品のベース・トラックは、たった一晩で録音されたという。オーバーダブをふくめても、アルバムの制作時間はわずか2日である。当時のロック・レコードは現在と比べて、だいぶ制作時間が短いけれど、これほど短いのは珍しいだろう。
 ヴァン・モリソンは、スタジオに集まったジャズ・ミュージシャンにたいし、いっさい指示を出さなかったそうだ。ミュージシャンのひとりが、「どういうふうに演奏しますか?」と問いかけると、たった一言、「まかせる」とだけ答えたという。
 モリソン自身のボーカルもきわめて即興性に富んでいて、メロディは単純なコードの上で、自在にその姿を変えている(その形がいずれも美しいのが、この人の歌の凄いところである)。
 歌詞もそうだ。おそらくは、かぎりなく即興に近い形でつくられたのだろう。文法も言葉のつながりも意味も無視した、きわめて自由な歌詞になっている。たぶん、推敲もほとんどしていないにちがいない。

 この方法論は、明らかにジャズのものである。
 あまり語られないけれど、この作品はポップ・ミュージックにジャズを取り入れた、画期的な作品なのである。のちにジョニ・ミッチェルやスティングがジャズを積極的に導入して自分の音楽をクリエイトすることになるが、この時代にはまだ、そんなことをやっている人間はいなかった。

 とはいえ、この音楽を「ジャズ」と呼ぶのは、誰しも抵抗があることだろう。なぜって、この音楽は「ジャズ」の一般的なイメージから、まるでかけ離れているからだ(その点、ジョニ・ミッチェルやスティングの「一聴してそれとわかる」ジャズ解釈とは、大きくちがっている)。
 たとえ方法論がジャズであったとしても、この音楽はジャズではない。ヴァン・モリソンの歌と言葉が、これを「ジャズ」と呼ぶことをかたくなに拒んでいる。

『アストラル・ウィークス』は、ジャズでもなくロックでもなく、フォークでもなければソウルでもない、ジャンル分け不能の、「ヘンな音楽」と呼ぶしかない音楽なのである。
 
                 *

「天上の日々」と題された全9曲は、アルバム・タイトルどおり、どこか浮き世ばなれしたところがある。音のひとつひとつが、この世ならぬところで鳴っている。歌っているヴァン・モリソンも、バックをつけているジャズ奏者も、どこか遠く、幽冥境を越えたところで演奏しているようだ。

 アルバムの2曲目「ビサイド・ユー」は、「俺はお前のそばにいる」と繰り返し歌われるラヴ・ソングである。とはいえ、その主人公たる「俺」と「お前」が、果たしてどういう状況にあるのかは、穴があくほど歌詞を見つめてみても、さっぱりわからない。片思いなのか、出会ったばかりでウキウキなのか、エッチした後のピロートークなのか、ふられた男のモノローグなのか。「俺」と「お前」の関係は、一切が不明である。
 だが、歌の中で羅列されるさまざまなイメージと、繰り返される「俺はお前のそばにいる/Beside You」という言葉によって、この曲はあらゆるラヴ・ソングを越えた、真のラヴ・ソングたり得ている。「俺」の置かれた状況がどういう状況なのかはわからなくても、「俺」が「お前」を尋常ならざる熱情をもって愛していることだけは、痛いほどに伝わってくるのだ。

 生きながらにして魂が遊離し、他者の眼前に現れるものを「生き霊」と呼ぶ。魂が肉体から遊離するためには、よほど何かに執着しなければならない。
 この歌における「俺」の「お前」にたいする執着は、まさに生き霊のそれである。「俺はお前のそばにいる」とは、いつ、いかなる時も、お前がどこにいたって、である。どんな物理的障害があろうと、「俺」は距離や時間を超越して、「お前」のそばにいる。もし「お前」がそれを望んでいなければ、とんだストーカーだけれど、愛欲とは本来そういうものだろう。
 ここに表現されているのは、そんな一方通行の・なにかに取り憑かれたような・正気と狂気、あるいは生と死の境界線を越えた意識である。まさに至高のラヴ・ソングだ。

『アストラル・ウィークス』に収録された楽曲は、すべてがこの調子だ。どこかで境界を越え、この世ならぬ世界にのめり込んでいる。なにしろ、アルバムの冒頭は、聴き手を「天上」へといざなう「アストラル・ウィークス」である。
 裏はとれてないけれど、たぶんこれは、ルドルフ・シュタイナーなどの神秘主義者の影響なのだろう。天上への旅立ちとはすなわち、精神世界への旅立ちでもある。
 クラシックの昔から、音楽と幻想は相性が良かった。だが、これほどの説得力をもって「この世ならぬ世界」を描き出した作品はそうそうないだろう。


 ヴァン・モリソンがこういう音楽を演奏したのは、後にも先にもこれっきりだった。この作品がセールス的に惨敗したこともあって、彼はこの後、ニューヨーク近郊ウッドストックに移住、現地のミュージシャンとともに、ダウン・トゥ・アースなソウル・ミュージックをクリエイトするようになる。彼のソロ・キャリアはそこから花開くことになるのだから、路線変更は正解だったというべきだろう。
 だいいち、こんな作品は、当のヴァン・モリソン自身、二度とつくれなかったにちがいない。

 この作品がリリースされた1968年は、サイケデリックの花があちこちで開花した時代である。わけのわからんもの、理屈じゃ通らない表現が、音楽的な冒険として受け入れられた時代だ。即興演奏も一種のブームを迎えており、クリームをはじめとして、即興をウリにするロック・バンドも沢山あった。さらに付け加えるならば、精神世界にたいする興味も、大きく拡大した時代である。瞑想やらヨガやらインドやらが大流行している。
 こうした時代背景と、ヴァン・モリソン自身の表現欲求の高まりが、この類例のない、希有な作品を生み出したのだ。言葉をかえれば、あらゆる偶然と必然が積み重なって、この作品の録音が行われた「一夜」に奇跡的に融合し、「天上の日々」を表現した、ということになるだろう。

 やさしくて自由で、軽やかであざやかで、にもかかわらずどこか不可思議にねじ曲がっていて、でも無上に気持ちいい世界。いつまでもそこにいたいが、そこに留まることは決してできない不思議な世界。『アストラル・ウィークス』はそういう作品である。

 たしか雑誌「ローリング・ストーン」だったと思うが、この作品を評して「史上もっとも売れなかった名盤」と語っていた。さもありなん。こんなもんが売れるはずはない。売れるはずはないが、この作品に出会った私は幸福である。たぶんあなたも。


必聴度 ★★★
名曲度 ★★★★★
名演度 ★★★★★
トリップ度 ★★★★★

Link
ヴァン・モリソンの日本語ファンサイト「Avalon Sunset」
http://www.f3.dion.ne.jp/~avalon/

 全アルバム紹介はむろんのこと、英国の事情通ピーター・バラカンに取材したり、ヴァンの過去のインタビューを抜粋・再録したり、詳細なことこの上ない。日本語で構築されたロック・ミュージシャンのファンサイトの中で、もっとも充実しているもののひとつだろう。ページの隅々に、ヴァンへの愛情がほとばしっている。