Sticky Fingers / The Rolling Stones
『スティッキー・フィンガーズ』
ザ・ローリング・ストーンズ
(1971年)
ス トーンズ黄金時代の中核を成す大傑作。サウンド的には当時最新流行だったサザン/スワンプ・ロックを追求。2本 のギターとタイトなリズム隊で構成された「ストーンズ・サウンド」が完成された作品である。新加入のギタリスト、ミック・テイラーの貢献も見逃せない。全 米1位のR&Rスタンダード「ブラウン・シュガー」を収録。
野心と冒険心に富んだ
「混沌と死」のアルバム
野心に満ちた作品である。
ベロ・マークをシンボルとするストーンズ自身のレーベル「ローリング・ストーンズ・レコーズ」は、この作品のリリースと同時にスタートしている。やれ ジャケットを変えろだの、リリース時期を考えろだの、あれこれうるさい注文をしてくるレコード会社の束縛から離れ、彼らはこの作品ではじめて、創作上の自 由を手にしたのだ。
また、母国イギリスの重税から逃れるため海外移住を果たし、彼らが真の意味でコスモポリタン(彼らは次のアルバムで 自嘲的に「Exile(亡命者)」と 名乗ることになる)となったのも、この頃のことである。俺様には国境なんざ関係ねえんだ、というアナーキーな気分は、新しく立ち上げたレーベルとともに、 彼らの野心を大いに鼓舞したことだろう。
そういった状況を反映してもいるのだろう。音楽も、冒険心に満ちあふれている。
前作『レット・イット・ブリード』ですでに萌芽が見られた彼らのアメリカ南部志向/スワンプ・ロック志向はさらにこの作品で深化を遂げ、数曲はサザン・ソウルのメッカ、アラバマ州マッスル・ショールズで録音されている。
グラム・パーソンズとの交流によって生まれたカントリー趣味は、美しいバラード「ワイルド・ホース」と叙情カントリー「デッド・フラワーズ」に結実した。
70 年代ストーンズ・サウンドの重要な特色となるキース・リチャーズのオープン・チューニング5弦ギターによるコード・カッティングも「ブラウン・シュ ガー」で完成を見せているし、ホーン・セクションを取り入れたストーンズ流ブラス・ロック「ビッチ」は彼らにとっても新機軸だった。
亡きオーティス・レディングに捧げたメンフィス・ソウルのバラード「アイ・ガット・ザ・ブルース」があるかと思えば、間延びしているが故にホンモノっぽさが演出されるブルース・カバー「ユー・ガッタ・ムーヴ」がある。
新加入のギタリスト、ミック・テイラーの華麗なリード・ギターにスポットを当て、インスト部に重点を置いた「キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」も、ストーンズにとっては新しい試みだった。
これらの音楽的冒険のひとつひとつは、いずれもその後のストーンズの方向を決定づける重要なものだったし、そのいくつかは「発明」と呼んで差し支えない 画期的なものだった。ソングライティングも充実していて、駄曲は1曲もない。本人たちも相当にノッてつくった作品であることは、疑いようのないことであ る。
ところが、この作品に表現されているのは、野心や冒険心に満ちた人間が持つだろう希望や情熱、ではないのである。
絶望・失望・疲労・倦怠感は、歌詞にも繰り返し現れ、音にも如実に表現されている。およそ整理されているとはいえないサウンドは、グチョグチョにとっち らかった混沌を表してあまりあるし、なによりも「死」のイメージがこれほど繰り返し現れる作品は、ロックに名盤多しといえどもそうそうないだろう。野心や 冒険心という前向きな感情と、絶望と疲労、混沌と死が同居しているのだ。
黄金海岸の奴隷船、綿花畑行き
ニューオーリンズのマーケットは大繁盛
奴隷商人はたいへんよく働いている
真夜中に響くムチの音
ああ、ブラウン・シュガー、なんてうまいんだ!
(Brown Sugar)
毎朝、死んだ花を贈り届けておくれ
俺はおまえの墓に薔薇を置いておくことにしよう
(Dead Flowers)
前者は当時のアメリカ南部に色濃く残っていた黒人差別を皮肉っていると思われるが、SM趣味も濃厚に匂わせつつ、最終的にはドラッグ賛美で終わってい る。要は、何が言いたいのかわからない。とっちらかった混沌、なのである。楽曲が持つすさまじい高揚感と合わせると、ほとんどヤケクソのように感じられ る。
後者は陽気なカントリー・ソングだが、歌われているのは「墓」であり「死んだ花」である。「死」はほかに、「スウェイ」「ワイルド・ホース」「シスター・モーフィン」といった曲で繰り返し歌われる。
これは、当時のストーンズが置かれた状況をストレートに反映した結果だ、と言えるだろう。
ドラッグ中毒で廃人になってしまったバンドの設立者、ブライアン・ジョーンズをクビにしたら、ひと月も経たないうちに自宅のプールで変死してしまった。 東海岸のウッドストックに対抗し、西海岸で大規模なフリー・コンサートを立ち上げたら、暴力沙汰が殺人事件に発展してしまった(オルタモントの惨劇)。
当時のストーンズのまわりには、本人たちの野心や冒険心とは裏腹に、混沌と死が渦巻いていたのだ。彼らが野心や冒険心に忠実であろうとすればするほど、混沌と死は色濃くなっていった。
要するに、なんかやるたびに犠牲者が出るのだ。メゲないはずはない。事実、オルタモントを撮影した映画『ギミー・シェルター』には、事件を知ってしょげかえったメンバーの沈鬱な表情が、ハッキリと描かれている。
彼らはそうした逆境に打ち勝って、キャリアにおいて最高ともいえる一作をリリースした。なんて強固な意志、素晴らしい勇気だろう! 彼らの持ち前の反逆 心は、ついに世間一般の倫理観――人が死ぬのは良くないことだ――さえ超越し、「善悪の彼岸」と呼べる場所にまで辿り着いたのだ! これぞ、前人未踏の芸 術的境地である!
ストーンズが大好きだからこそ、そう結論づけたい誘惑にかられる。
だが、たぶんそれは結果論なのだと思う。
自分たちのあずかり知らぬところで幾多のトラブルが起き、身のまわりがグチョグチョの混沌だの「死」だのでいっぱいになっていく中、ストーンズは大いに おびえ、大いに不安を感じたはずだ。彼らが偉大だったのは、そういったおびえや不安の中でも、キッチリ仕事をしたこと、その一点に尽きる。
だから、絶望・失望・疲労・倦怠感、グチョグチョにとっちらかった混沌、そして死は、隠しようもなくそのまんま作品に反映されてしまった。そうしようと思ったんじゃなくて、そういうものしかつくれなかったのだ。
だが、すでに述べたように、そんな表現はロック界広しといえども誰も表現していなかったのである。そしてたぶん、今でもそんな表現はないだろう。
なぜな ら、自分たちがやりたいことをやる=アーティスト・エゴの追求が、そのまま人の死だの殺人事件だのにつながっちゃったバンドは、ストーンズをおいて他にな いからだ。
必聴度 ★★★★★
名曲度 ★★★★★
名演度 ★★★★
感涙度 ★★★★★