Sunday, December 31, 2006

Rubber Soul / The Beatles

ラバー・ソウル/ザ・ビートルズ
(1965年)



 スタジオでの音楽的冒険を繰り広げた中期ビートルズの序章と呼ばれる作品。歌詞もサウンドも初期に比べ飛躍的な進歩を遂げている。60年代に起こった音楽的なムーブメントはほぼすべてビートルズが先導したと言って過言ではないが、この作品は「フォーク・ロック」の草分けにして代表作といわれている。


最後のロックンロール・ビートルズ

「ラバー・ソウル」とは、80年代のバンド・ブームの頃に大いに流行ったゴム底の靴のことでは当然なくて、文字どおり「ゴム製の魂」の意味である。なんでも、ソウル・シンガーがローリング・ストーンズの音楽を「プラスティック・ソウル」と言って馬鹿にしたところからこのタイトルを思いついたとか。発案のきっかけはともかく、とても文学的で洒落たタイトルだと思う。

 ビートルズの音楽が変わりはじめたのは、このアルバムからと言われている。沈鬱な表情を浮かべたメンバーの写真(すこしタテに伸びている)をあしらったジャケットは、それまでの作品とは明らかに趣を異にしているし、詩もグッと深みを増した(これはボブ・ディランの影響だとか)。
「ノルウェイの森」にはシタールがダビングされているし、「イン・マイ・ライフ」ではテープの倍速回転が採り入れられている。ビートルズは続く「リボルバー」「サージェント・ペッパーズ」といったアルバムでサイケデリック=スタジオでの音楽の冒険を追求することになるが、この作品をその端緒とするのが通説だ。

 とはいえ、私がこのアルバムを愛するのは、「ビートルズのスタジオ時代」がここからはじまったから、ではない。むしろ逆で、「ロックンロール・コンボとしてのビートルズ」がここで完成を見ているからである。
 次作「リボルバー」の楽曲は、すでにライヴで再現不可能な域に達してしまっている。むろんそれも素晴らしいのだけれど、私はギリギリのところでライヴ・バンドとしての体面を保っている「ラバー・ソウル」のビートルズが、とても愛おしく感じられるのだ。
「ドライヴ・マイ・カー」「ユー・ウォント・シー・ミー」「君はいずこへ」「ウェイト」、そして「愛のことば」。これらの曲は実際にライヴで演奏されることはなかったけれど、彼らが殺人的なツアー・スケジュールをこなすことで培ったグルーヴが、たしかに息づいている。アルバム・タイトルどおり、ソウル・ミュージックの影響も大きいのだろう。

 私事になってしまうが、私がビートルズをはじめてマトモに聴いたのはこのアルバムだった。たぶん、高校生の頃だろう。濃緑のアルバム・ジャケット、マッチョなグルーヴ、印象的なメロディ・ライン。いずれも文句なくカッコ良かった。ビートルズは断じて甘っちょろいポップスをやるバンドではなく、じつにイカしたロックンロール・バンドだったのだ。そのことが、痛いほどよくわかった。
 たぶん、はじめて出会ったのが「サージェント・ペパーズ」や「ホワイト・アルバム」や「アビー・ロード」だったら、そんなふうには思えなかっただろう。今にして思えば、本当に幸福な出会いだった。
(誤解のないように付け加えておくが、断じて後期の諸作がつまらないと言っているのではない)

Wednesday, October 04, 2006

Astral Weeks / Van Morrison

『アストラル・ウィークス』
ヴァン・モリソン
(1968年)

 ワン&オンリーのシンガー、ヴァン・モリソンがゼム解散後にリリースした実質的なファースト・ソロ作。ジャズの即興性を機軸にしたアコースティック・サウンドの上に、ヴァンのこれまた即興性に富んだ歌が乗る。きわめてユニークかつ、奥の深い作品。


モリソン氏と過ごす、天上の日々

 ヘンな音楽である。そして、不思議な音楽である。
 
 かりに、エレクトリック・ギターとベース、ドラムで構成されるビート・ミュージックを「ロック」と定義するならば、これは断じて、ロックではない。この作品にはエレキ・ギターの音はまったく鳴ってないし、なによりこれはビート・ミュージックではない。

 バッキングをつとめるのは、一流のジャズ・ミュージシャンである。代表格は、リチャード・デイビス(ベース、エリック・ドルフィーとの共演で有名)とコニー・ケイ(MJQのドラマー)。やってることも明らかに、ジャズの方法論にのっとっている。
 ヴァン・モリソン自身が弾いていると思われるアコギは、えんえんと単純なコードを繰り返している。その単調な繰り返しの上で、アコースティック・ギター、ベース、ドラム、フルートの即興演奏が繰り広げられる。この即興性は明らかに、ジャズに由来するものだ。

 この「即興性」こそ、アルバム制作時のヴァン・モリソンのテーマだったのだ。それはまちがいない。
 この作品のベース・トラックは、たった一晩で録音されたという。オーバーダブをふくめても、アルバムの制作時間はわずか2日である。当時のロック・レコードは現在と比べて、だいぶ制作時間が短いけれど、これほど短いのは珍しいだろう。
 ヴァン・モリソンは、スタジオに集まったジャズ・ミュージシャンにたいし、いっさい指示を出さなかったそうだ。ミュージシャンのひとりが、「どういうふうに演奏しますか?」と問いかけると、たった一言、「まかせる」とだけ答えたという。
 モリソン自身のボーカルもきわめて即興性に富んでいて、メロディは単純なコードの上で、自在にその姿を変えている(その形がいずれも美しいのが、この人の歌の凄いところである)。
 歌詞もそうだ。おそらくは、かぎりなく即興に近い形でつくられたのだろう。文法も言葉のつながりも意味も無視した、きわめて自由な歌詞になっている。たぶん、推敲もほとんどしていないにちがいない。

 この方法論は、明らかにジャズのものである。
 あまり語られないけれど、この作品はポップ・ミュージックにジャズを取り入れた、画期的な作品なのである。のちにジョニ・ミッチェルやスティングがジャズを積極的に導入して自分の音楽をクリエイトすることになるが、この時代にはまだ、そんなことをやっている人間はいなかった。

 とはいえ、この音楽を「ジャズ」と呼ぶのは、誰しも抵抗があることだろう。なぜって、この音楽は「ジャズ」の一般的なイメージから、まるでかけ離れているからだ(その点、ジョニ・ミッチェルやスティングの「一聴してそれとわかる」ジャズ解釈とは、大きくちがっている)。
 たとえ方法論がジャズであったとしても、この音楽はジャズではない。ヴァン・モリソンの歌と言葉が、これを「ジャズ」と呼ぶことをかたくなに拒んでいる。

『アストラル・ウィークス』は、ジャズでもなくロックでもなく、フォークでもなければソウルでもない、ジャンル分け不能の、「ヘンな音楽」と呼ぶしかない音楽なのである。
 
                 *

「天上の日々」と題された全9曲は、アルバム・タイトルどおり、どこか浮き世ばなれしたところがある。音のひとつひとつが、この世ならぬところで鳴っている。歌っているヴァン・モリソンも、バックをつけているジャズ奏者も、どこか遠く、幽冥境を越えたところで演奏しているようだ。

 アルバムの2曲目「ビサイド・ユー」は、「俺はお前のそばにいる」と繰り返し歌われるラヴ・ソングである。とはいえ、その主人公たる「俺」と「お前」が、果たしてどういう状況にあるのかは、穴があくほど歌詞を見つめてみても、さっぱりわからない。片思いなのか、出会ったばかりでウキウキなのか、エッチした後のピロートークなのか、ふられた男のモノローグなのか。「俺」と「お前」の関係は、一切が不明である。
 だが、歌の中で羅列されるさまざまなイメージと、繰り返される「俺はお前のそばにいる/Beside You」という言葉によって、この曲はあらゆるラヴ・ソングを越えた、真のラヴ・ソングたり得ている。「俺」の置かれた状況がどういう状況なのかはわからなくても、「俺」が「お前」を尋常ならざる熱情をもって愛していることだけは、痛いほどに伝わってくるのだ。

 生きながらにして魂が遊離し、他者の眼前に現れるものを「生き霊」と呼ぶ。魂が肉体から遊離するためには、よほど何かに執着しなければならない。
 この歌における「俺」の「お前」にたいする執着は、まさに生き霊のそれである。「俺はお前のそばにいる」とは、いつ、いかなる時も、お前がどこにいたって、である。どんな物理的障害があろうと、「俺」は距離や時間を超越して、「お前」のそばにいる。もし「お前」がそれを望んでいなければ、とんだストーカーだけれど、愛欲とは本来そういうものだろう。
 ここに表現されているのは、そんな一方通行の・なにかに取り憑かれたような・正気と狂気、あるいは生と死の境界線を越えた意識である。まさに至高のラヴ・ソングだ。

『アストラル・ウィークス』に収録された楽曲は、すべてがこの調子だ。どこかで境界を越え、この世ならぬ世界にのめり込んでいる。なにしろ、アルバムの冒頭は、聴き手を「天上」へといざなう「アストラル・ウィークス」である。
 裏はとれてないけれど、たぶんこれは、ルドルフ・シュタイナーなどの神秘主義者の影響なのだろう。天上への旅立ちとはすなわち、精神世界への旅立ちでもある。
 クラシックの昔から、音楽と幻想は相性が良かった。だが、これほどの説得力をもって「この世ならぬ世界」を描き出した作品はそうそうないだろう。


 ヴァン・モリソンがこういう音楽を演奏したのは、後にも先にもこれっきりだった。この作品がセールス的に惨敗したこともあって、彼はこの後、ニューヨーク近郊ウッドストックに移住、現地のミュージシャンとともに、ダウン・トゥ・アースなソウル・ミュージックをクリエイトするようになる。彼のソロ・キャリアはそこから花開くことになるのだから、路線変更は正解だったというべきだろう。
 だいいち、こんな作品は、当のヴァン・モリソン自身、二度とつくれなかったにちがいない。

 この作品がリリースされた1968年は、サイケデリックの花があちこちで開花した時代である。わけのわからんもの、理屈じゃ通らない表現が、音楽的な冒険として受け入れられた時代だ。即興演奏も一種のブームを迎えており、クリームをはじめとして、即興をウリにするロック・バンドも沢山あった。さらに付け加えるならば、精神世界にたいする興味も、大きく拡大した時代である。瞑想やらヨガやらインドやらが大流行している。
 こうした時代背景と、ヴァン・モリソン自身の表現欲求の高まりが、この類例のない、希有な作品を生み出したのだ。言葉をかえれば、あらゆる偶然と必然が積み重なって、この作品の録音が行われた「一夜」に奇跡的に融合し、「天上の日々」を表現した、ということになるだろう。

 やさしくて自由で、軽やかであざやかで、にもかかわらずどこか不可思議にねじ曲がっていて、でも無上に気持ちいい世界。いつまでもそこにいたいが、そこに留まることは決してできない不思議な世界。『アストラル・ウィークス』はそういう作品である。

 たしか雑誌「ローリング・ストーン」だったと思うが、この作品を評して「史上もっとも売れなかった名盤」と語っていた。さもありなん。こんなもんが売れるはずはない。売れるはずはないが、この作品に出会った私は幸福である。たぶんあなたも。


必聴度 ★★★
名曲度 ★★★★★
名演度 ★★★★★
トリップ度 ★★★★★

Link
ヴァン・モリソンの日本語ファンサイト「Avalon Sunset」
http://www.f3.dion.ne.jp/~avalon/

 全アルバム紹介はむろんのこと、英国の事情通ピーター・バラカンに取材したり、ヴァンの過去のインタビューを抜粋・再録したり、詳細なことこの上ない。日本語で構築されたロック・ミュージシャンのファンサイトの中で、もっとも充実しているもののひとつだろう。ページの隅々に、ヴァンへの愛情がほとばしっている。


Monday, June 26, 2006

Aha Shake Heartbreak / Kings of Leon

『アーハー・シェイク・ハートブレイク』
キングス・オブ・レオン
(2004年)

 アメリカはテネシー州出身の3人兄弟+従兄弟の同族ガレージ・バンドの2作目。メンバーの平均年齢は25歳未満とおそろしく若いが、消すことのできない南部臭と、オルタナティヴを通過したいびつなメロディが独自の個性を主張する。



私、キングス・オブ・レオンの味方です

 今世紀に入ってから主にイギリスを中心にして盛り上がった「ロックンロール・リバイバル」というムーブメントの中から出てきたバンドである。
 ロックンロール・リバイバルのバンドがたいがいそうであるように、彼らも最初にイギリスで人気に火がついた。もっとも、このバンドはストロークスやホワイト・ストライプスみたいに、本国に凱旋できるほど売れていない。そこがきわめて残念なところである。いいバンドなのになあ。

 ギター2本とベース、ドラムで構成されるサウンドは、CCRを彷彿とさせる。激チープではあるのだけれど、ルーツを消化した暖かみのある音。土の匂いがそこはかとなく漂う。「ロックンロール・リバイバル」に分類されるバンドはたくさんあるけれど、こういう音を出すバンドは他にないだろう。
 
 ただし、ルーツ・ロックにガレージ風の味付けをほどこしただけのバンドだと思ったら大間違いだ。こいつらが鳴らしている音は、たしかに新しいのだから。

 その「新しさ」の中心は、なんといっても歌にある。
 このバンド、歌がヘンなのだ。
 メロディ・ラインはそれこそルーツ・ロックふうだったり、ニューウェーヴふうだったりするのだが、こちらの予想を裏切る方向にかならず展開していく。言葉の韻の踏み方も定石どおりじゃない。そして、これがなにより重要なのだが、ボーカリストの歌い方がおかしい。ヘン、なのである。
 たぶん本人は一生懸命歌っているのだろうけれど、力の入れどころを勘違いしてるような、激情をどこかに置き忘れたような、よく言えばほのぼのとした、悪く言えばものすごくマヌケな歌。
 南部訛りまるだしの英語だから、そのせいなのかなとも思ったが、聞き込むうちにそうではない、という結論に至った。このボーカリストはたぶん、(いい意味で)頭がヘンなのだ。一風変わったメロディは考えてつくったもんじゃないし、マヌケ声も天然だ。こういう人なのである。
 一枚目・二枚目ともにアルバムのジャケットにハッキリした写真がなかったから、その歌声から勝手に朴訥とした百姓ヅラを想像していたのだけれど、つい最近おそろしく美形だと知って再度、驚かされた。ルックスに声がぜんぜん合ってねえ。やっぱヘンだよ、こいつ。

 でも、そこがいいのである。

 ロックンロール・リバイバルなんて、その名前からして後ろ向きなムーブメントで、ロックの過去の遺産をなぞっているにすぎない、みたいな意見はよく聞く。要は、縮小再生産だというわけだ。
 当たってるところもあると思うし、てめえら若いんだから人をアッと驚かすような新しいことやってみやがれ、と言いたい気持ちもないではない。
 だが、ロックという音楽は、スタイルよりパーソナリティの方がモノを言う音楽なのだ。十年一日のバンド編成、どこかで聞いたサウンド・スタイルであっても、その人となりがじゅうぶんに個性的であれば、魅力的な表現が生まれるのである。

 美形のくせに訛っていて、田舎くさくて垢抜けない脱力系ボーカル。ヘタクソなガレージ・バンドのくせに、なぜかルーツの血脈を感じさせるバンド・サウンド。この組み合わせはやはり新しいし、こいつらがこの後どのように活動するのかが、とても楽しみだ。一皮むけないと売れないだろうけど、一皮むけると良さがなくなっちゃうような気もする。今後どうすんのかなあ、となぜかやきもきしてしまうのも、このバンドの愛らしさゆえだろう。

 アルバムから1曲を選ぶとするなら、9曲目「Day Old Blues」。牧童が吹く角笛のような、懐かしいメロディ。そのくせ、ありきたりでは絶対になくて、やっぱりどこかヘン。でも、そこが何よりいとおしい。



必聴度 ★★
名曲度 ★★★★
名演度 ★
マヌケ度 ★★★★★


Friday, May 19, 2006

Last Waltz / The Band

映画『ラスト・ワルツ』
ザ・バンド

1976年、サンフランシスコで開催されたザ・バンドのラスト・ステージを記録した映画。ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ヴァン・モリソン、マディ・ウォータースなど、出演者も超豪華。監督は『タクシー・ドライバー』のマーティン・スコセッシ。




演出された「終わり」、それでも人生は続く

 ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』は、ロック映画の最高傑作のひとつである。

 監督はマーティン・スコセッシ。『ラスト・ワルツ』が撮影されたのは1976年、ちょうど『タクシー・ドライバー』が公開された年だ。まさに絶頂期である。演出に緊張感がある。ロック映画にありがちな冗漫さがどこにもないし、ステージのライティングもカメラワークも、すべてが計算し尽くされている。そのくせ、ステージの躍動感・臨場感は失われていない。クライマックスでボブ・ディランが登場するシーンなど、ザ・バンドの面々の緊迫ぶり(リハなしのぶっつけ本番だったらしい)がリアルに伝わってきて、感動的である。
 ヴァン・モリソンからマディ・ウォーターズまで、音楽の偉人たちが次々に登場するステージと、ザ・バンドのメンバーへのインタビューを中心としたドキュメンタリーが交互に語られる構成も、みごととしか言いようがない。この構成によって、『ラスト・ワルツ』は、ロック映画が通常持つことができない「物語」を持つことに成功している。

『ラスト・ワルツ』で語られる物語とは、ふたつの歴史物語である。ひとつは、「ザ・バンドの歴史」という物語。もうひとつは、「ロック・ミュージックの歴史」という物語。ふたつの物語は、それぞれが交錯し補完しあいながら、映画の最終幕で美しく「終わり」を迎える。『ラスト・ワルツ』は、ロック史上きわめて重要なグループの「終わり」に重ねて、「ロックの終わり」を描いた作品なのだ。

『ラスト・ワルツ』が開催された76年は、ロンドンとニューヨークでパンク・バンドが同時多発的に発生した年である。「ニューウェーヴの時代」はすぐそこまで来ていたのだ。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが「ロックは死んだ」とのたまうのは、この翌年のことである。

 果たしてこの頃、本当にロックが「終わった」り「死んだ」りしたのかどうか。それはわからない。だが、「変質」していたのはたしかだった。
 ロックは、70年代に入ってから急速に成長を遂げていた。なにしろ毎年、前年比25パーセント増しでレコードの売り上げが伸びていたのである。これにともない、スタジアム・コンサートも一般化し、『ラスト・ワルツ』が開催された76年には、ロックは完全に巨大産業になっていたのだ。表現も進化/深化を遂げ、ロックはかつてのような、いきがった若者のためのカウンター・カルチャーではなくなっていた。「死んだ」「終わった」は言い過ぎにしても、「変質」していたのは事実である。

 おそらくはザ・バンドのロビー・ロバートソンも、その「変質」を敏感に感じ取っていたのだろう。彼は次のように語り、『ラスト・ワルツ』を企画する。

 ロックとは旅すること。旅はもう、終わりだ――。


 デビュー前のドサ回りで8年。デビュー後のスタジアムやホールを回るツアーで8年。計16年を「旅」に費やしてきた。この後も旅を続ける人生なんて、自分には耐えられない。『ラスト・ワルツ』でロバートソンは、幾度となくそう語っている。
 ロック・ミュージシャンである以上、ツアーは避けられない。だが、彼はもともと、ステージがそんなに好きではなかったのだろう。ヒッチコック映画からタイトルをとった「Stage Flight/ステージ恐怖症」なんて曲もある(名曲です)。

 人生を旅に費やすことをやめ、レコーディング・アーティストとして生きる。『ラスト・ワルツ』はもともと、彼が(主語は単数である)ステージ活動をやめるために企画した、壮大な「ステージ卒業式」だった。したがって、『ラスト・ワルツ』で終わるもの/終わらせるものとは、あくまで「ザ・バンドのコンサート活動」にすぎなかった。

 にもかかわらず、ザ・バンドはほどなくして解散してしまう。レコーディング・アーティストになりたかったのは、じつはロバートソンだけだったのだ。他の連中はちがった。音楽以外にとりえもなけりゃできることもない、ホンモノの音楽バカだった彼らにとって、演奏することはそのまま、生きることだった。コンサート活動をやめてしまえば、演奏する場がなくなってしまう。
 ザ・バンドにとどまっていても演奏ができないからこそ、各人はソロ活動に精を出しはじめた。ライヴをやらないザ・バンドは、ザ・バンドじゃなかったのである。

 さらに、映画『ラスト・ワルツ』が78年に公開される。前述したように、「終わり」を美しく演出したこの作品は、ザ・バンドというグループが存続することを許さなかった。ファンでさえが、「ザ・バンドは終わった」と思いこんでしまったのである。
「『ラスト・ワルツ』はザ・バンドの解散コンサートである」という誤解が根強いのも、この映画があまりに美しく「終わり」を描いているためだ。


 アメリカン・ミュージックの伝統を知り尽くした6人の達人ミュージシャンが織りなす音楽絵巻。それが、ザ・バンドの音だった。この6人でしか鳴らせない音、この6人でしか表現できない世界。ザ・バンドはまちがいなく、ワン&オンリーのグループだった。ことに、傑作といわれる初期の2枚――『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』および『ザ・バンド』は、その傾向が強い。

 だが、扇は要がなければ開かない。ザ・バンドの音楽は、ロビー・ロバートソンという要があったからこそ、花開くことができたのである。彼らが演奏する泥臭いルーツ・ロックが、単なる原点回帰で終わらなかったのは、ひとえにロビー・ロバートソンという優れたソングライター/コンセプト・メイカーを持っていたためだ。
「ルーツ・ミュージックにアメリカの歴史を歌い込む」というコンセプト、それをみごとに演出するリリシズム溢れる楽曲の数々。いずれも、ロバートソンの仕事である。ザ・バンドをザ・バンドたらしめていたもの、それはロビー・ロバートソンの知性と文学性だったのだ。

 映画『ラスト・ワルツ』が傑作となったのも、煎じ詰めればロバートソンのコンセプトによるものだ。ロック・バンドがコンサート活動を休止する、ただそれだけのイベントが、いつしか大物ゲストを大勢呼んだスペシャル・コンサートとなる。映画化の話がトントンと決まる。売れっ子で多忙をきわめたマーティン・スコセッシが監督をかって出る。すべて、ロバートソンの「最後のワルツ」というコンセプトが魅力的だったからである。
 そして、ロバートソンはバンドの歴史をしめくくる典雅なインスト曲「ラスト・ワルツのテーマ」を映画のために書き下ろす。この曲がなければ、映画がこれほどに美しく「終わり」を演出することはなかっただろう。


『ラスト・ワルツ』を企画したとき、ひょっとしたらロバートソンには、バンドの解散も、その後の身の振り方も、見えていたのではないかと思える。彼はザ・バンド解散後、ドリームワークス(現在はユニバーサルと合併)のレコード部門の重役として、ふかふかの椅子にふんぞり返る生活をすることになるのだ。

 考えてみれば、ロビー・ロバートソンはものすごくビジネスマン向きの感性を持っている人である。頭は物凄く切れるし、アイデアも豊富だし、センスもいい。弁も立つ。機を見るに敏なところは『ラスト・ワルツ』で証明済み。その上、「アメリカン・ミュージックを知り尽くしたバンド」にいた過去もあるのだから、音楽業界でロバートソンに「ノー」と言うのはかなり難しいにちがいない。人に「ノー」と言わせないことが、ビジネスの成功条件である。
 リタイヤしたロック・ミュージシャンの中で、第二の人生がもっとも成功しているのは誰か、といったらまちがいなくロビー・ロバートソンなのだ。

 では、『ラスト・ワルツ』なんてちっとも望んでなかった残りの連中は? 天使のファルセット・ボーカリスト、リチャード・マニュエルはドラッグ中毒になったあげく、86年に自殺した。その他の連中はソロ活動したり、ザ・バンドを再結成したりしたが、残念ながら成功しているとは言いがたい。おそらくは今でも、小さなクラブでドサ回りをやってることだろう。

 そういう事実を知った目で見ると、『ラスト・ワルツ』のロバートソンは、なんとも憎たらしいのである。ただ黙々と演奏しているだけのザ・バンドのメンバーの中で、この男だけが、キザったらしいギター・アクションをかまし、芝居がかった表情を幾度となく浮かべ、わざとらしく感動に打ち震えている。明らかに、カメラを意識しているのだ(それがまたカッコいいから癪に障る)。インタビュー・パートで「もうイヤだ」「もうたくさんだ」「もう終わりだ」を繰り返し、『ラスト・ワルツ』が必然だと強調しているのも、この男だけだ。

 すべてを計算どおりに運び、現在もエグゼクティヴとして生活するロビー・ロバートソン。生涯一ミュージシャンから逸脱することができず、たった今もどこかでしょぼいステージをこなしているだろう残りの連中。明暗はハッキリ分かれた、ように見える。
 やっぱり、正直な人間より利口な人間の方が成功するんだよね、この世の中。悪い奴ほどよく眠る、とは黒沢明もうまいことを言ったもんだ。

 だが、最後にひとつだけ言いたい。
 死んじまったリチャード・マニュエルやリック・ダンコはともかく、たとえばリヴォン・ヘルムとロビー・ロバートソン、ふたりを比べたとき、本当に幸福なのはどちらか決めることはできないはずだ。生涯ドサ回りの一ミュージシャンであるリヴォン・ヘルムの方が、レコード会社重役のロバートソンより、悠々と暮らしている、というようなことも、往々にして起こりえることである。音楽を裏切った人間は、音楽に愛されることもない。すくなくとも、リヴォン・ヘルムが今も毎日感じているはずの「演奏するよろこび」を、ロバートソンはもう、味わうことができないのだから。人生における幸福の総量は、地位や年収で計ることはできないのである。

 ロビー・ロバートソンもたまに演奏してるって? 本気で楽しんでるはずないじゃないか。なにしろ、ステージ・フライトにおびえる線の細い男なんだから。


追記1:
 映画『ラスト・ワルツ』は歴史に残る大傑作だが、映画公開と同時にリリースされたアルバムの方は、単なるサウンドトラックで大した作品ではない。オムニバス的な楽しみ方はできるけれど、ザ・バンドの演奏は粗いし、作品としてのトータルな魅力に欠ける。ザ・バンドのライヴを聴きたければ、ライヴ盤『ロック・オブ・エイジス』またはボブ・ディランとの競演盤『偉大なる復活』を聴くべし。いずれもロック史に残る大傑作ライヴである。

追記2:
映画『ラスト・ワルツ』の紹介としては、下記が詳しい。出演アーティストのプロフィールや代表アルバムにもふれていて、とても親切だ。
http://www.enjoy.ne.jp/~taira-a/TheLastWaltz.html

追記3:
DVD化に際して追加された特典映像「JAM #2」鑑賞記。じつはだいぶ前に書いたものだけれど、本稿に合わせて公開。
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10012641497.html


Tuesday, April 04, 2006

Sticky Fingers / The Rolling Stones

『スティッキー・フィンガーズ』
ザ・ローリング・ストーンズ
(1971年)


 ス トーンズ黄金時代の中核を成す大傑作。サウンド的には当時最新流行だったサザン/スワンプ・ロックを追求。2本 のギターとタイトなリズム隊で構成された「ストーンズ・サウンド」が完成された作品である。新加入のギタリスト、ミック・テイラーの貢献も見逃せない。全 米1位のR&Rスタンダード「ブラウン・シュガー」を収録。


野心と冒険心に富んだ
「混沌と死」のアルバム


 野心に満ちた作品である。
 
  ベロ・マークをシンボルとするストーンズ自身のレーベル「ローリング・ストーンズ・レコーズ」は、この作品のリリースと同時にスタートしている。やれ ジャケットを変えろだの、リリース時期を考えろだの、あれこれうるさい注文をしてくるレコード会社の束縛から離れ、彼らはこの作品ではじめて、創作上の自 由を手にしたのだ。

 また、母国イギリスの重税から逃れるため海外移住を果たし、彼らが真の意味でコスモポリタン(彼らは次のアルバムで 自嘲的に「Exile(亡命者)」と 名乗ることになる)となったのも、この頃のことである。俺様には国境なんざ関係ねえんだ、というアナーキーな気分は、新しく立ち上げたレーベルとともに、 彼らの野心を大いに鼓舞したことだろう。

 そういった状況を反映してもいるのだろう。音楽も、冒険心に満ちあふれている。

 前作『レット・イット・ブリード』ですでに萌芽が見られた彼らのアメリカ南部志向/スワンプ・ロック志向はさらにこの作品で深化を遂げ、数曲はサザン・ソウルのメッカ、アラバマ州マッスル・ショールズで録音されている。
 グラム・パーソンズとの交流によって生まれたカントリー趣味は、美しいバラード「ワイルド・ホース」と叙情カントリー「デッド・フラワーズ」に結実した。
 70 年代ストーンズ・サウンドの重要な特色となるキース・リチャーズのオープン・チューニング5弦ギターによるコード・カッティングも「ブラウン・シュ ガー」で完成を見せているし、ホーン・セクションを取り入れたストーンズ流ブラス・ロック「ビッチ」は彼らにとっても新機軸だった。
 亡きオーティス・レディングに捧げたメンフィス・ソウルのバラード「アイ・ガット・ザ・ブルース」があるかと思えば、間延びしているが故にホンモノっぽさが演出されるブルース・カバー「ユー・ガッタ・ムーヴ」がある。
 新加入のギタリスト、ミック・テイラーの華麗なリード・ギターにスポットを当て、インスト部に重点を置いた「キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」も、ストーンズにとっては新しい試みだった。

  これらの音楽的冒険のひとつひとつは、いずれもその後のストーンズの方向を決定づける重要なものだったし、そのいくつかは「発明」と呼んで差し支えない 画期的なものだった。ソングライティングも充実していて、駄曲は1曲もない。本人たちも相当にノッてつくった作品であることは、疑いようのないことであ る。

 ところが、この作品に表現されているのは、野心や冒険心に満ちた人間が持つだろう希望や情熱、ではないのである。

  絶望・失望・疲労・倦怠感は、歌詞にも繰り返し現れ、音にも如実に表現されている。およそ整理されているとはいえないサウンドは、グチョグチョにとっち らかった混沌を表してあまりあるし、なによりも「死」のイメージがこれほど繰り返し現れる作品は、ロックに名盤多しといえどもそうそうないだろう。野心や 冒険心という前向きな感情と、絶望と疲労、混沌と死が同居しているのだ。

 黄金海岸の奴隷船、綿花畑行き
 ニューオーリンズのマーケットは大繁盛
 奴隷商人はたいへんよく働いている
 真夜中に響くムチの音
 ああ、ブラウン・シュガー、なんてうまいんだ!
           (Brown Sugar)

 毎朝、死んだ花を贈り届けておくれ
 俺はおまえの墓に薔薇を置いておくことにしよう
          (Dead Flowers)

  前者は当時のアメリカ南部に色濃く残っていた黒人差別を皮肉っていると思われるが、SM趣味も濃厚に匂わせつつ、最終的にはドラッグ賛美で終わってい る。要は、何が言いたいのかわからない。とっちらかった混沌、なのである。楽曲が持つすさまじい高揚感と合わせると、ほとんどヤケクソのように感じられ る。
 後者は陽気なカントリー・ソングだが、歌われているのは「墓」であり「死んだ花」である。「死」はほかに、「スウェイ」「ワイルド・ホース」「シスター・モーフィン」といった曲で繰り返し歌われる。

 これは、当時のストーンズが置かれた状況をストレートに反映した結果だ、と言えるだろう。

  ドラッグ中毒で廃人になってしまったバンドの設立者、ブライアン・ジョーンズをクビにしたら、ひと月も経たないうちに自宅のプールで変死してしまった。 東海岸のウッドストックに対抗し、西海岸で大規模なフリー・コンサートを立ち上げたら、暴力沙汰が殺人事件に発展してしまった(オルタモントの惨劇)。
 当時のストーンズのまわりには、本人たちの野心や冒険心とは裏腹に、混沌と死が渦巻いていたのだ。彼らが野心や冒険心に忠実であろうとすればするほど、混沌と死は色濃くなっていった。

 要するに、なんかやるたびに犠牲者が出るのだ。メゲないはずはない。事実、オルタモントを撮影した映画『ギミー・シェルター』には、事件を知ってしょげかえったメンバーの沈鬱な表情が、ハッキリと描かれている。

  彼らはそうした逆境に打ち勝って、キャリアにおいて最高ともいえる一作をリリースした。なんて強固な意志、素晴らしい勇気だろう! 彼らの持ち前の反逆 心は、ついに世間一般の倫理観――人が死ぬのは良くないことだ――さえ超越し、「善悪の彼岸」と呼べる場所にまで辿り着いたのだ! これぞ、前人未踏の芸 術的境地である!

 ストーンズが大好きだからこそ、そう結論づけたい誘惑にかられる。
 だが、たぶんそれは結果論なのだと思う。

  自分たちのあずかり知らぬところで幾多のトラブルが起き、身のまわりがグチョグチョの混沌だの「死」だのでいっぱいになっていく中、ストーンズは大いに おびえ、大いに不安を感じたはずだ。彼らが偉大だったのは、そういったおびえや不安の中でも、キッチリ仕事をしたこと、その一点に尽きる。
 だから、絶望・失望・疲労・倦怠感、グチョグチョにとっちらかった混沌、そして死は、隠しようもなくそのまんま作品に反映されてしまった。そうしようと思ったんじゃなくて、そういうものしかつくれなかったのだ。

  だが、すでに述べたように、そんな表現はロック界広しといえども誰も表現していなかったのである。そしてたぶん、今でもそんな表現はないだろう。
 なぜな ら、自分たちがやりたいことをやる=アーティスト・エゴの追求が、そのまま人の死だの殺人事件だのにつながっちゃったバンドは、ストーンズをおいて他にな いからだ。

必聴度 ★★★★★
名曲度 ★★★★★
名演度 ★★★★
感涙度 ★★★★★

Tuesday, March 07, 2006

Revolution Of The Mind / James Brown

『ソウルの革命』
ジェームス・ブラウン
(1971年)


 ファンク・ミュージックの発明者にして最大の開発者であるJBが絶頂期にリリースしたアポロ劇場でのライヴ録音、大ファンク盤。JBのタフでドープなファンクがイヤというほど味わえる。ワン&オンリーのJBボーカルの叫びっぷり・神がかりっぷりも凄い。


絶頂期のJBをとらえた熱狂の大ファンク・ライヴ

 ジャケットがいい。
 牢に入れられたジェームス・ブラウン。

 ジェームス・ブラウンは刑務所出身のシンガーだ。彼は16歳のとき、車の窃盗をやって、ブタ箱にブチ込まれている。アメリカでは、少年院は15歳まで。16歳で「監獄」行きになるのだ。
 彼の刑期は、最短8年、最長16年というものだった。車の窃盗にしては重い罰だろう。だが、当時のアメリカ南部には、こういう差別まるだしな刑罰がまかり通っていたのである。

 刑務所に入ったブラウン少年は、「こんなところに長くいたくはない」と考え、徹底して模範囚であるよう勤めたそうだ。結果として、彼は3年で出所を許され、娑婆に出て音楽活動をはじめることになる。

 この頃のエピソードに、おもしろいのがある。
 ブタ箱から出たブラウン少年は保護観察を受けている。保護観察下にある人間は、州境を越えることができない。
 だが、ブラウン少年は必死で観察官の目をあざむき、州境を幾度となく越えていたのだそうだ。
 何のために? むろん、州境を越えてライヴをやるためである。

 一説によれば、最盛期のジェームス・ブラウンは年間300回のライヴをやっていたという。それ故、ついたあだ名が「The Hardest Working Man in Show Business」。ショービジネス界でもっとも激しく働く男、である。

 JBはライヴでバンドを鍛え、ファンクという音楽を文字どおり「発明」した。

 この作品は、「セックス・マシーン」に代表される一連のファンク・チューンを連発し、音楽的にも絶頂期にあったジェームス・ブラウンが、満を持してリリースした大実況中継盤である。
 ファンクという音楽のすべてが、ここにはある。

 随所に聞かれる観客とのかけ合いは、呪術的ですらある。
 すべてを打ち破るJBの声と、タフなリズムによって煽られた観客たちは、日常性を剥奪され、狂ったようにJBの呼びかけに応えている。
 呪術の司祭たるJBも神がかっている。ことに、クライマックスで連呼される「ソウル・パワー!」「パワー・トゥ・ザ・ピープル!」という言葉は、単純なだけに迫真力が強い。
 
 アルバムタイトルは「心の革命」。
 JBは、本気なのだ。
 牢を描いたジャケットにも、その「本気」が表現されている。

 この後、JBは傑作「ペイバック」をはじめとしたメッセージ色の強い作品を次々にリリースすることになる。この作品は、その序章でもある。


必聴度 ★★★★
名曲度 ★★★★
名演度 ★★★★★
腰フリ度 ★★★★★ 

追記:
JBは今でも本気、バリバリの現役である。
それを、先日(3月4日)、東京国際フォーラムで確認してきた。したたかな衝撃を受けた。
ライヴレビューはこちら。
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10009813729.html

追記2:
 ジェームス・ブラウンは上記の日本公演と同じ年の暮れ、2006年12月25日、クリスマスにこの世を去った。生涯に3枚のクリスマス・アルバムをリリースしたJBらしいといえば、らしいということになるのかもしれない。
 そのニュースを聞いてしばらくは、コメントを出すことができなかったが、その後、若干気持ちの整理もついて、下記の文章をしたためた。私なりの追悼文ということになるのだろうか。
http://goatsheadsoup-musikus.blogspot.com/2007/01/since-youve-been-gone.html


Tuesday, February 28, 2006

The Woodstock Album / Muddy Waters

『ウッドストック・アルバム』
マディ・ウォータース
(1975年)

 ザ・ バンドの面々やポール・バタフィールドなど、ニューヨーク近郊ウッドストックのロック・ミュージシャンをバックに迎えて録音したマディ晩年の作品。独特の ギラギラした部分が薄れて、枯れた味わいさえ感じさせるボーカルを堪能できる。バックの滋味溢れる演奏も素晴らしい。

等身大のフーチー・クーチー・マン
 もし、「ミスター・ブルース」と呼んでいい人がいるとするならば、マディ・ウォータースをおいて他にはいないだろう。
  彼の音楽には、ブルースのすべてがある。音色一発のスライド・プレイにはミシシッピの綿花畑で働く奴隷の末裔たちの血と汗とエネルギーが、その唸り声に は女たちを熱狂させる猥雑なフェロモンと肉体性が、それぞれ、渦巻いている。そして、そのたたずまいには王者のみが持つホンモノの風格がある。
 ブルースとはマディであり、マディとはブルースである。マディは、ジャンル名をそのままアーティスト名にしてもいい、数少ないアーティストのひとりなのだ。

 そんなマディ・ウォータースの音楽を過不足なく表現した作品としては、なんといっても『ベスト・オブ・マディ・ウォータース』があげられる。これを聴かずしてマディを語ってはならないし、これを聴かずしてブルースを語ってはならない。すべての音楽好きが一度は耳を通すべき超必聴盤である。

  もっとも、ここで紹介したいのは、そんな「超必聴盤」ではない。マディのアルバムの中では決して有名なものではないし、私もブルース本はかなり目を通して い る方だと思うけれど、この作品をほめている言説にはついぞお目にかかったことがない。すくなくとも世評的には、「名盤」と呼べるような作品ではないのであ る。

 60年代後半から70年代にかけて、ブルースマンとロック・ミュージシャンのコラボレーション作品が数多くリリースされた。ロッ ク・ミュージシャンの方がブルースマンとの共演を望んだ、ということもあるし、おそらくはレコード会社も、そのことによって売り上げ向上を望んでいたのだ ろう(なにしろ、ブルースは「売れない」音楽なのだから!)。 マディに至っては、70年代に入ってからリリースされた作品はほとんどロック・ミュージ シャンのバックがついている。また、ギトギトのサイケデリック・ロックにチャレンジした『エレクトリック・マッド』なんてモンド・レコード、世紀の珍盤も発表している。

  そういう中で、この作品はいかにも地味なのである。バックのミュージシャンはタイトルどおり、ニューヨーク近郊ウッドストックに在住する腕利きミュージ シャン。そこそこ名が知れているのは、ザ・バンドのガース・ハドソンとリヴォン・ヘルム、そしてポール・バタフィールドぐらいだろう。ハッキリ言って一般 のロック・ファンの関心を惹くメンツだとは思えないし、音にも派手さはまったくない。

 だが、これがいいのである。伝統的なシカゴ・ブルースからは微妙に――この「微妙に」がミソである――ズレたアレンジがほどこされた楽曲は、晩年のマディが達した枯淡ともいえる境地を映し出している。
  あのフーチー・クーチー・マン――女性器至上主義者の意――だって、いつまでもギラギラしてはいられない。誰でも年はとるのだから。
 だが、あのフーチー・ クーチー・マンだからこそたどり着ける境地だってある。
 ここに描かれているのは、「ブルースのカリスマ」マディ・ウォータースではなく、等身大の 「人間」マディ・ウォータースである。広大な大地に育まれた人間のあたたかさと、齢60を越えた人間が持つであろう過去への郷愁。この音からは、たしかに ミシシッピが幻視できる。 

 ミスター・ブルース、マディ・ウォータースがここまで「等身大」を演じることができたアルバムはほかにない。
 この後、マディはジョニー・ウィンターのプロデュースでコテコテのシカゴ・ブルースに帰っていくことになるが、そこではまた「ブルースのカリスマ」に戻っている。

 等身大のマディ。そんな希有の表現を成立させたのは、バックの白人ミュージシャンによる演出である。わけても、リヴォン・ヘルムのドラムの音色のあたたかさ・優しさによるところが大きい。

 リヴォン・ヘルムは、あの『ラスト・ワルツ』の出演者リストからマディをはずす案が持ち上がったとき、烈火のごとく怒ったという。マディを心の底から尊敬しているのだ。その尊敬が、演奏にも素直に現れている。
  むろん、マディと共演した白人ミュージシャンは誰もがマディを尊敬していただろう。だが、「尊敬」を音で表現するのは難しい。これはその意味でも、希有の作品である。


必聴度 ★
名曲度 ★★
名演度 ★★★★★
感涙度 ★★★ 


Friday, February 24, 2006

Los Lonely Boys / Los Lonely Boys


『ロス・ロンリー・ボーイズ』
ロス・ロンリー・ボーイズ
(2003年)

テキサス出身の3人兄弟バンド。2005年グラミー最優秀新人賞を受賞。アルバム冒頭「Senorita」、出世曲となった「Heaven」など、新人とは思えぬ完成度。兄弟のオヤジはミュージシャンだそうで、英才教育のたまものかもしれない。


「憧れのテキサス」の新人バンド
 テキサスに行ったことがあるわけじゃない。死ぬまでに一度ぐらい行ってみてもいいとは思っているが、今すぐ行きたいとは思わない。 それでも、テキサスというところには、妙な思い入れがあるのである。故郷を追われた人間が故郷を思うような、そんな感傷的な憧れさえある。

 とはいえ、いいイメージばかりでもないのだ。

  テキサスは、かつてメキシコからの独立を求めて戦い、アメリカの州に入れてもらうことを欲し、アメリカがウンと言わないのでテキサス共和国という独立国 をおっ建ててしまったという男気あふれる歴史を持つ国である。アイゼンハワー、ジョンソン、そしてブッシュ親子と大統領輩出率もきわめて高い。こういう歴 史を持つ地には、どうしてもある種の選民思想が芽生えてくる。聞くところによれば、テキサス人はテキサスこそがアメリカの中心と信じて疑うことがないとい う。さもありなん。

 またテキサスは、あの映画史に残る傑作ホラームービー『悪魔のいけにえ』の 舞台となった場所でもある。あの動機もなんにもない狂気の電ノコ殺人が、リアリティをもって演出できてしまう土地柄なのだ。事実、あの映画はテキサスに実 際に起こった電ノコ殺人を脚色した作品なのである。 家と家の距離が馬鹿みたいに離れていてなんにもないからこそ、地縁血縁だけで濃厚なファミリーが形成 され、そこに狂気が吹きだまる。その狂気だって、突き詰めれば「よそ者は人間ではない。だから狩りをして楽しんだり、捕って喰ったりしてもいい」という選 民意識の素直な発露なのだ。「テキサスこそアメリカの中心」という発想と、根はまったく同じなのである。

 ああ、でもテキサスには憧れがある。

 その要因のもっとも大きなものは、テキサス出身のミュージシャンが奏でる音楽である。彼らの野太い音が、私のツボを常に刺激してくれるのだ。
 そこには、だだっぴろい大地の上でしかはぐくまれない、雄大さがある。男くささ、と言い換えてもいい。
 フレディ・キング、ゲイトマウス・ブラウン、アルバート・コリンズといった、いかすブルースマンたち。
 ロック系でも、スティーヴン・スティルス、ジョニー・ウィンター、そしてZZトップと好きなアーティストは枚挙にいとまがない。彼らの音楽には、たしかに「テキサス的なるもの」が流れていて、私の心の琴線を大いにふるわせるのである。 おお、我が心のテキサス!

 ロス・ロンリー・ボーイズは、そんなテキサスから現れた新人アーティストである。
  新人、とはいっても、ファースト・アルバムのリリースは2003年だ。そこからじわじわと知名度をあげた彼らは、2年かけてアルバムをビルボードの上位に 送り込み、2005年、グラミーの最優秀新人賞を受賞した。これで人気も一気にワールドワイドになって、日本盤もグラミー受賞後に、ようやくリリースされ てい る。
 彼らのなにがいいって、とにかく曲がいいのである。おセンチなバラードはちょっとハナにつくけど、アップテンポのナンバーでのノリの よさ、メロディ のみごとさは一級品だ。 スペイン語をあえて入れて、メキシカン・ルーツを強調したのも成功の要因だろう。ヒップホップに支配されている現代アメリカ の音楽シーンは、ちょっとしたマリノリティ・ブームなのだ。このブームが彼 らにとって、追い風となった。
 バンドが三人兄弟だというのもいい。聞くところによれば、こいつらのオヤジは地元テキサスではそこそこ知られた ミュージシャンだという。オヤジに基礎をみっちり叩きこまれたのだろう、演奏技術の高さは相当なものがある。ライヴもかなりイケるにちがいない。
  そして、ギターの素晴らしさ。こういう男くさいギターを弾くギタリストが出てきたのって、本当に久しぶりじゃないか。テキサス出身の面目躍如というべき か、それとも、元祖マイノリティ代表・サンタナの影響というべきか。男くさい泣きのギターが、情緒を刺激する。私が最初にこいつらを意識したのは、こ のギターの音色だった。そう、そこにはあの「テキサス的なるもの」が流れている!

 リーゼントのベーシスト(こいつが歌うことが多 い)が、私はいい男でございとカメラ目線でキメたがるのは少々閉口だが、今後がすごく楽しみなバンドである。ここまで完成度の高いファースト・アルバムを つくって、それが評価されてしまうと、プレッシャーも相当あることだろう。
 だが、あえて言いたい。日和るんじゃねえぞ、と。
 今なら、安直なバラード路線に逃げることもできる。だが、それはいずれバンドのクビを絞めることになるはずだ。こいつらが進むべきは、骨太のテキサン・ロックである。


必聴度 ★★
名曲度 ★★★★
名演度 ★★★★
期待度 ★★★★