Saturday, February 17, 2007

Atlantic Crossing / Rod Stewart

『アトランティック・クロッシング』
ロッド・スチュワート

(1975年)


 古巣のマーキュリーからワーナーに移籍、英国のローカル・シンガーだったロッドが世界を攻略すべくリリースした作品。ブッカーTとMGズ、マッスル・ショールズ・スワンパーズをバッキングに迎え、アメリカ各地で録音された楽曲群は現在でもみずみずしい。ジェシ・エド・ディヴィスの渋いギター・プレイも光る。大ヒット曲「セイリング」収録。


「大西洋を渡る」英国人の気概と冒険心

 タイトルは「大西洋を横切って」。ジャケットには今まさに大西洋をひとまたぎしようとするロッドのイラストが描かれている。

 このアルバムの発表まで、ロッド・スチュワートはイギリスを舞台にして活動するシンガーだった。
 ジェフ・ベック・グループのボーカリストとして1968年にデビューした彼は、グループ脱退後フェイセスに加入、並行してソロ・ボーカリストとしての活動もスタートさせている。この頃の彼の活動ぶりはけっこう凄くて、たとえば1971年には、フェイセス名義の「ロング・プレイヤー」「馬の耳に念仏」、ソロの「エブリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」と計3枚のアルバムをリリースしている。
 この時期のロッドのソロ・アルバムはたいがいフェイセスのメンバーがバックアップしているから、じつはこのことは、フェイセスというバンドがいかに精力的なバンドだったか、ということを物語ってもいる。だが、リード・ボーカリストのソロ作とバンド名義のアルバムを並行してリリースするという異常な活動形態は、この偉大なロックンロール・バンドを簡単に解散においやってしまった。
 どうしてそんなややっこしい活動形態をとることになったのか、事情は不明だが、たぶん、あんまり先のことは考えてなかったんだろう。1年にアルバム3枚リリースという異様なワーカホリックぶりも、そのへんの無計画性と関わりがあるにちがいない。

 いずれにせよ、ロッド・スチュワートというシンガーは、デビュー以降、ソロ・シンガーとしてもフェイセスの一員としても、英国のミュージシャンと活動を続けてきたのである。
 
 本作は、そんな彼が、「大西洋を横切って」アメリカ大陸に赴いて制作した作品だ。録音はニューヨーク、マイアミ、メンフィス、そしてマッスル・ショールズとアメリカ各地で行われており、バッキングをつとめるのは、ブッカーT&ザ・MGズとマッスル・ショールズ・スワンパーズである。いずれも「アメリカの音」そのものと言ってもいいスタジオ・ミュージシャン集団だ。その上、プロデューサーはトム・ダウドなのだから、アルバム・クレジットを見るだけでも、ロッドがこの作品で目指したものが伝わってくる。

 英国出身のR&Bシンガーの常として、彼もまた、アメリカン・ルーツ・ミュージックに心を奪われていた。フェイセスというバンドは明らかにそれを指向していたし、ソロ作におけるカバー曲のチョイスにしても、「米国への憧れ」を濃厚に感じさせるものが多かった。
 そうした指向性を持つシンガーにとって、トム・ダウドをプロデューサーに立て、マッスル・ショールズ・スワンパーズをバックに歌うことは、長年の夢だったにちがいない。早い話が、あのアレサ・フランクリンとまったく同じサウンド・プロダクションで歌うんだから、嬉しくて嬉しくて仕方がなかっただろう。

 長年の夢を実現した喜びは、ロッド自身の歌唱にみずみずしく表現されている。アルバムの冒頭を飾る「スリー・タイム・ルーザー」、ジェシ・エド・デイヴィスとの共作曲でジェシ自身のイカすギターも聞ける「オールライト・フォー・アン・アワー」など、歌うのが楽しくて楽しくて仕方がない、という気持ちが伝わってくる。こうしたスコーンと抜けたような明るさ・開放感は、英国時代の彼のソロ作やフェイセスの作品には見られなかったものだ。

 アナログはA面がFast Side、B面がSlow Sideとなっており、楽曲の性格に応じて割り振られている。カバー曲のセンスも秀逸で、スコットランドのバンド、サザーランド・ブラザース(私は寡聞にしてこの人たちの曲を知りません)のカバー、「セイリング」はロッド一世一代の大ヒットとなった。他にも、夭折したクレイジー・ホースのギタリスト、ダニー・ウィットンの手になる「もう話したくない」など、ロッドがこの作品で紹介した楽曲は数多い。

             *

「大西洋を横切って」には、じつはもうひとつの意味がある。

 日本にいて海外の音楽を聴いていると見えにくいのだが、イギリスとアメリカでは、マーケットの大きさがまるで違う。たとえば「全英チャート1位」はそれだけ聞くと凄そうに思えるけれど、実際の売上枚数は日本の「オリコン1位」の方がずっと多いのである。むろん「全米1位」とは比較にならない。せいぜい、アメリカのローカル・ヒットと肩を並べられる程度だろう。
 逆に、「全米1位」は文字どおり、世界を制覇したことを意味する。なにしろ、全世界のCD売上の4割はアメリカ一国で担っているのだから。

 したがって、イギリス出身のロック・ミュージシャンは誰もかれもがアメリカを目指す。より多くのレコードを売るために、というと聞こえは悪いけれど、より多くの聴衆に自分の音楽を知ってもらうには、アメリカで売れるほか方法はないのである。

 この作品は、イギリスのローカル・ヒーローだったロッド・スチュワートが、まさに「大西洋を横切って」アメリカで売れるべく攻勢をかけた作品であった。タイトルにもジャケットにも、その意気込みが見てとれる。そして、これが凄いところなのだが、彼はこの作品でみごとワールド・ワイドなポップ・スターになってしまうのだ。いわば、有言実行である。古巣のマーキュリーを出てワーナーと契約したことも大きかったのだろうが、なかなかできるこっちゃない。
 これ以降、ロッド・スチュアートはロックンロール・セレブの仲間入りをして、みずからのスーパースターぶりを戯画化したような作品をリリースすることになる。それらの作品もバカっぽくていいのだけれど、当然のことながら、ここに現れたような「呪縛から解き放たれたような開放感」「長年の夢を実現したよろこび」「歌うことのよろこび」は表現されていない。
 大西洋をひとまたぎするには、勇気と冒険心がいる。だが、いちど渡ってしまったら、もうそれは必要のないものだ。捨てるつもりはなくても、いつの間にか消え去ってしまう。取り戻したい、と考えても、それは決して戻ってこない。
 この作品は、ロッド・スチュアートという希有のシンガーが、ひと皮むけて大人になる瞬間を描いたドキュメントでもある。