Tuesday, February 28, 2006

The Woodstock Album / Muddy Waters

『ウッドストック・アルバム』
マディ・ウォータース
(1975年)

 ザ・ バンドの面々やポール・バタフィールドなど、ニューヨーク近郊ウッドストックのロック・ミュージシャンをバックに迎えて録音したマディ晩年の作品。独特の ギラギラした部分が薄れて、枯れた味わいさえ感じさせるボーカルを堪能できる。バックの滋味溢れる演奏も素晴らしい。

等身大のフーチー・クーチー・マン
 もし、「ミスター・ブルース」と呼んでいい人がいるとするならば、マディ・ウォータースをおいて他にはいないだろう。
  彼の音楽には、ブルースのすべてがある。音色一発のスライド・プレイにはミシシッピの綿花畑で働く奴隷の末裔たちの血と汗とエネルギーが、その唸り声に は女たちを熱狂させる猥雑なフェロモンと肉体性が、それぞれ、渦巻いている。そして、そのたたずまいには王者のみが持つホンモノの風格がある。
 ブルースとはマディであり、マディとはブルースである。マディは、ジャンル名をそのままアーティスト名にしてもいい、数少ないアーティストのひとりなのだ。

 そんなマディ・ウォータースの音楽を過不足なく表現した作品としては、なんといっても『ベスト・オブ・マディ・ウォータース』があげられる。これを聴かずしてマディを語ってはならないし、これを聴かずしてブルースを語ってはならない。すべての音楽好きが一度は耳を通すべき超必聴盤である。

  もっとも、ここで紹介したいのは、そんな「超必聴盤」ではない。マディのアルバムの中では決して有名なものではないし、私もブルース本はかなり目を通して い る方だと思うけれど、この作品をほめている言説にはついぞお目にかかったことがない。すくなくとも世評的には、「名盤」と呼べるような作品ではないのであ る。

 60年代後半から70年代にかけて、ブルースマンとロック・ミュージシャンのコラボレーション作品が数多くリリースされた。ロッ ク・ミュージシャンの方がブルースマンとの共演を望んだ、ということもあるし、おそらくはレコード会社も、そのことによって売り上げ向上を望んでいたのだ ろう(なにしろ、ブルースは「売れない」音楽なのだから!)。 マディに至っては、70年代に入ってからリリースされた作品はほとんどロック・ミュージ シャンのバックがついている。また、ギトギトのサイケデリック・ロックにチャレンジした『エレクトリック・マッド』なんてモンド・レコード、世紀の珍盤も発表している。

  そういう中で、この作品はいかにも地味なのである。バックのミュージシャンはタイトルどおり、ニューヨーク近郊ウッドストックに在住する腕利きミュージ シャン。そこそこ名が知れているのは、ザ・バンドのガース・ハドソンとリヴォン・ヘルム、そしてポール・バタフィールドぐらいだろう。ハッキリ言って一般 のロック・ファンの関心を惹くメンツだとは思えないし、音にも派手さはまったくない。

 だが、これがいいのである。伝統的なシカゴ・ブルースからは微妙に――この「微妙に」がミソである――ズレたアレンジがほどこされた楽曲は、晩年のマディが達した枯淡ともいえる境地を映し出している。
  あのフーチー・クーチー・マン――女性器至上主義者の意――だって、いつまでもギラギラしてはいられない。誰でも年はとるのだから。
 だが、あのフーチー・ クーチー・マンだからこそたどり着ける境地だってある。
 ここに描かれているのは、「ブルースのカリスマ」マディ・ウォータースではなく、等身大の 「人間」マディ・ウォータースである。広大な大地に育まれた人間のあたたかさと、齢60を越えた人間が持つであろう過去への郷愁。この音からは、たしかに ミシシッピが幻視できる。 

 ミスター・ブルース、マディ・ウォータースがここまで「等身大」を演じることができたアルバムはほかにない。
 この後、マディはジョニー・ウィンターのプロデュースでコテコテのシカゴ・ブルースに帰っていくことになるが、そこではまた「ブルースのカリスマ」に戻っている。

 等身大のマディ。そんな希有の表現を成立させたのは、バックの白人ミュージシャンによる演出である。わけても、リヴォン・ヘルムのドラムの音色のあたたかさ・優しさによるところが大きい。

 リヴォン・ヘルムは、あの『ラスト・ワルツ』の出演者リストからマディをはずす案が持ち上がったとき、烈火のごとく怒ったという。マディを心の底から尊敬しているのだ。その尊敬が、演奏にも素直に現れている。
  むろん、マディと共演した白人ミュージシャンは誰もがマディを尊敬していただろう。だが、「尊敬」を音で表現するのは難しい。これはその意味でも、希有の作品である。


必聴度 ★
名曲度 ★★
名演度 ★★★★★
感涙度 ★★★ 


Friday, February 24, 2006

Los Lonely Boys / Los Lonely Boys


『ロス・ロンリー・ボーイズ』
ロス・ロンリー・ボーイズ
(2003年)

テキサス出身の3人兄弟バンド。2005年グラミー最優秀新人賞を受賞。アルバム冒頭「Senorita」、出世曲となった「Heaven」など、新人とは思えぬ完成度。兄弟のオヤジはミュージシャンだそうで、英才教育のたまものかもしれない。


「憧れのテキサス」の新人バンド
 テキサスに行ったことがあるわけじゃない。死ぬまでに一度ぐらい行ってみてもいいとは思っているが、今すぐ行きたいとは思わない。 それでも、テキサスというところには、妙な思い入れがあるのである。故郷を追われた人間が故郷を思うような、そんな感傷的な憧れさえある。

 とはいえ、いいイメージばかりでもないのだ。

  テキサスは、かつてメキシコからの独立を求めて戦い、アメリカの州に入れてもらうことを欲し、アメリカがウンと言わないのでテキサス共和国という独立国 をおっ建ててしまったという男気あふれる歴史を持つ国である。アイゼンハワー、ジョンソン、そしてブッシュ親子と大統領輩出率もきわめて高い。こういう歴 史を持つ地には、どうしてもある種の選民思想が芽生えてくる。聞くところによれば、テキサス人はテキサスこそがアメリカの中心と信じて疑うことがないとい う。さもありなん。

 またテキサスは、あの映画史に残る傑作ホラームービー『悪魔のいけにえ』の 舞台となった場所でもある。あの動機もなんにもない狂気の電ノコ殺人が、リアリティをもって演出できてしまう土地柄なのだ。事実、あの映画はテキサスに実 際に起こった電ノコ殺人を脚色した作品なのである。 家と家の距離が馬鹿みたいに離れていてなんにもないからこそ、地縁血縁だけで濃厚なファミリーが形成 され、そこに狂気が吹きだまる。その狂気だって、突き詰めれば「よそ者は人間ではない。だから狩りをして楽しんだり、捕って喰ったりしてもいい」という選 民意識の素直な発露なのだ。「テキサスこそアメリカの中心」という発想と、根はまったく同じなのである。

 ああ、でもテキサスには憧れがある。

 その要因のもっとも大きなものは、テキサス出身のミュージシャンが奏でる音楽である。彼らの野太い音が、私のツボを常に刺激してくれるのだ。
 そこには、だだっぴろい大地の上でしかはぐくまれない、雄大さがある。男くささ、と言い換えてもいい。
 フレディ・キング、ゲイトマウス・ブラウン、アルバート・コリンズといった、いかすブルースマンたち。
 ロック系でも、スティーヴン・スティルス、ジョニー・ウィンター、そしてZZトップと好きなアーティストは枚挙にいとまがない。彼らの音楽には、たしかに「テキサス的なるもの」が流れていて、私の心の琴線を大いにふるわせるのである。 おお、我が心のテキサス!

 ロス・ロンリー・ボーイズは、そんなテキサスから現れた新人アーティストである。
  新人、とはいっても、ファースト・アルバムのリリースは2003年だ。そこからじわじわと知名度をあげた彼らは、2年かけてアルバムをビルボードの上位に 送り込み、2005年、グラミーの最優秀新人賞を受賞した。これで人気も一気にワールドワイドになって、日本盤もグラミー受賞後に、ようやくリリースされ てい る。
 彼らのなにがいいって、とにかく曲がいいのである。おセンチなバラードはちょっとハナにつくけど、アップテンポのナンバーでのノリの よさ、メロディ のみごとさは一級品だ。 スペイン語をあえて入れて、メキシカン・ルーツを強調したのも成功の要因だろう。ヒップホップに支配されている現代アメリカ の音楽シーンは、ちょっとしたマリノリティ・ブームなのだ。このブームが彼 らにとって、追い風となった。
 バンドが三人兄弟だというのもいい。聞くところによれば、こいつらのオヤジは地元テキサスではそこそこ知られた ミュージシャンだという。オヤジに基礎をみっちり叩きこまれたのだろう、演奏技術の高さは相当なものがある。ライヴもかなりイケるにちがいない。
  そして、ギターの素晴らしさ。こういう男くさいギターを弾くギタリストが出てきたのって、本当に久しぶりじゃないか。テキサス出身の面目躍如というべき か、それとも、元祖マイノリティ代表・サンタナの影響というべきか。男くさい泣きのギターが、情緒を刺激する。私が最初にこいつらを意識したのは、こ のギターの音色だった。そう、そこにはあの「テキサス的なるもの」が流れている!

 リーゼントのベーシスト(こいつが歌うことが多 い)が、私はいい男でございとカメラ目線でキメたがるのは少々閉口だが、今後がすごく楽しみなバンドである。ここまで完成度の高いファースト・アルバムを つくって、それが評価されてしまうと、プレッシャーも相当あることだろう。
 だが、あえて言いたい。日和るんじゃねえぞ、と。
 今なら、安直なバラード路線に逃げることもできる。だが、それはいずれバンドのクビを絞めることになるはずだ。こいつらが進むべきは、骨太のテキサン・ロックである。


必聴度 ★★
名曲度 ★★★★
名演度 ★★★★
期待度 ★★★★